INTERVIEW

インタビュー

「食」を通じて地域の魅力の発信を。海外での経験をもとに福島の地で奮闘する

大島草太

出身地:栃木県
勤務先:Kokage Kitchen/株式会社ホップジャパン
勤務期間:2019年3月〜(Kokage Kitchen)、2020年11月〜(株式会社ホップジャパン)
年齢:24歳

福島県の中通りに位置する田村市。雄大な自然に囲まれたこの地域を「食」を通じて盛り上げようと奮闘する若者がいる。株式会社ホップジャパンで働く大島草太(おおしま・そうた)さんだ。

大島さんは大学在学時に地域おこし協力隊を経験し、大学卒業後は2020年11月にホップジャパンに入社。自身が大学時代に立ち上げたワッフル屋「Kokage Kitchen(コカゲキッチン)」と二足のわらじで活動をしている。

留学中の経験をきっかけに起業し、地域おこし協力隊を経て、ビール醸造士の道へ。福島の地に希望を見出しキャリアを切り開いていく大島さんのストーリーを伺った。

ホップジャパンの目指すビジョンに惹かれ、ビール醸造士の道へ

2020年、東日本大震災の影響で休業となっていた福島県田村市の公共施設「グリーンパーク都路」内に「ホップガーデンブルワリー」がオープンした。同施設で提供されるのは、福島県田村市で栽培したホップを使ったクラフトビール。そして、広大な土地にはキャンプ場やスポーツ広場、農園があり大自然豊かな田村市の魅力を五感を通じて体験できる。

ホップガーデンブルワリーを運営しているのが、田村市に拠点を置く株式会社ホップジャパンだ。地産ホップを使用したブルワリーの経営を軸に、地域の人々が生き生きと暮らしていける循環型のコミュニティーを作り出すことをビジョンに掲げている。そんなホップジャパンのビジョンに惹かれ、ビール醸造の道を歩み始めたのが今回お話を伺った大島草太さんだ。

大島さんは2019年11月から田村市の地域おこし協力隊として、ホップジャパンやグリーンパーク都路のPR活動をした後、2020年11月よりクラフトビール醸造所を営むホップジャパンに入社。現在は2019年に立ち上げた川内村のそば粉を使用したワッフル屋「Kokage Kitchen」と並行して、食を通じた地域の魅力発信の仕事に取り組んでいる。

彼がホップジャパンに入社を決めたのは「ビールを通じて、循環型の社会をつくる」という会社のビジョンに共感したことに加え、代表である本間誠さんの人柄に惹かれたことが理由だという。

同社が拠点を置く田村市都路町では少子高齢化が進んでおり、特に20代、30代の働き手は非常に少ない。そんな地域の中で、活き活きと働く格好いい大人。それが代表本間誠さんの印象だったという。ビール醸造士として働き始めて半年ほど。現在は、醸造責任者である武石翔平さんのもと経験を積んでいる。

「この地域には20代の働き手が少ないということもあり、本間さんや武石さんには家族のように可愛がってもらっています。仕事の流れを学ぶなかで感じたのは「ビールづくりは化学」だということです。少しの工程の違いがその味を左右する。想像していたよりもずっと奥が深い世界で、今はビールづくりを学んでいくことがただただ楽しいです」

トロントでの経験が、福島の「食」を考えるきっかけに

大島さんが食の仕事を志したのは、大学時代のある経験がきっかけだった。栃木県出身の大島さんは高校卒業後に福島大学に進学。在学中にカナダのトロントに留学し、現地のレストランで1年ほど勤務をしていた。その際に現地の友人に言われた言葉が心にひっかかったのだ。

「僕が『福島から来た』と言ったら、人が住める場所なのか?とすごく驚かれました。その時に、もちろん住めるし、とてもいい場所だということを伝えようとしたのですが、僕自身、福島の魅力をうまく伝えることができなかったんです。

そうした経験から、自分自身がもっと福島の魅力を知り、誇りを持てるような働き方ができないかと考えるようになりました」

留学を終えて帰国した大島さんは、地域に根ざした働き方を実践する人たちに意識的に目を向けるようになる。特に惹かれたのが過疎化が進む川内村を盛り上げようと取り組む人々だった。彼らの活動に刺激を受け、自分もこの場所で地域の課題解決をビジネスとしてやっていきたいという思いから、大学3年時に開業を決意。放射能の影響で風評被害を受けていた「食」の分野で事業を行うことに決めた。

当時、川内村では耕作放棄地対策としてそばの栽培を行っていた。そこで大島さんは収穫したそばの実を活用したメニューを作れないだろうかと考えた。そうしてスタートさせたのが川内村のそば粉を使ったワッフル屋「Kokage Kitchen」だ。

Kokage Kitchenは店舗を持たず、福島県内外のイベントに出店してきた。2020年にはクラウドファウンディングを利用し、サポートを受けた資金を元にキッチンカーを導入。しかし、販売場所をより拡大させようとしたタイミングで、新型コロナウイルスの感染が拡大。現在は思うように営業が行えていないもののPOPやパッケージのデザインを見直し、都路町でマルシェを開催するなど、長期的なファンづくりを行っていくという。

この地域では、肩書きも役職もいらない。そこに希望があった

学生時代に起業し、地域おこし協力隊も経験。いわゆる「就職活動」とは違った道からキャリアを歩み始めた大島さんだが、大学に進学するまでは、「良い会社に入ることが正解だ」という価値観だったと振り返る。しかし、そんな価値観を変えたのはトロントのレストランでの経験だった。年齢や立場を超えてスタッフ全員がフラットな関係で働いている。企業名や肩書き、役職よりももっと大事なものがあるのではないか?そう感じた経験であった。

都路町や川内村には、20代から30代の働き手は少ない。50代でも若手と呼ばれることもあるぐらいだ。だからこそ、年齢を超えて人々がつながっていく。所属や能力ではなく、人柄や「その人らしさ」で、関係性が出来上がる。そんなところに魅力を感じ、福島で働くことを選んだという。

「大学を出て、なんで普通の企業の新卒採用試験を受けなかったんだと両親には言われました。いわゆるレールから外れた生き方を反対されたんです。でも、好きな場所で、好きな人と、やりたいことをやれている。僕にとってはそれが一番大事だったんです」

今後も引き続き、ホップジャパンとKokage Kitchenの仕事を通じて田村市、川内村といった福島県内各地の魅力を発信していきたいと話す。そして、自身がそう決断したように、夢をもって、この地域で挑戦する人を増やしていくのが目標だ。

「自分一人でできることは限られています。まわりの人たちを巻き込みながら、この地域をもっと楽しくしていきたい。そして、若い人にこの地域のことを知ってもらいたいですね」

(2020/12/21取材)