INTERVIEW

インタビュー

クラフトビールから循環型の社会を

本間誠さん

出身地:山形県 
勤務先:株式会社ホップジャパン
勤務地:田村市都路町 
勤務期間:2015年~ 
年齢:54歳

ビールの味と香りを決める重要な原料の1つ、それがホップ。国内で使われるホップの9割は海外から輸入されているが、福島県田村市でホップの栽培を手掛けるのがホップジャパン代表の本間誠さん。元々は仙台の電力会社で勤務をしていた本間さんが、なぜ田村市でこの事業を始めたのか。お話を伺った。

クラフトビールとの出会い

海外旅行が趣味だった本間さん。年に5回も海外に行くほど熱心だったが、ただ旅行するだけでは物足りず、生活してみたいと思うようになったという。勤めていた電力会社の休職制度を利用し、2008年から2年間アメリカのシアトルに滞在。そこで個性豊かなクラフトビールと出会った。

「もともとは日本酒が好きで、ビールは喉が渇いたら飲む程度でした。でも、アメリカで飲んだビールがそれまで飲んでいたものと全然違って。こんなに香りがあって美味しいものなんだ。ビールにも色んなスタイルがあるんだと感じました。スーパーのビール売場の半分くらいはクラフトビールでしたし、日本の温泉の数なんて比じゃないくらいあちこちに※ブルワリーパブがありました。」

イベントに行っても必ずブルワリーパブがあり、クラフトビールが楽しめて雰囲気もいい。現地の人達は朝6時に出社して10時には切り上げて山に行き、そのまま近くのブルワリーで飲み会を楽しむ。自分でビールを造って、ホームパーティーに持ってくる。そして評判が良くなると徐々に造る量を増やして自分でも売ってみようかという流れになる。

シアトルには自由な雰囲気のなかにクラフトビールが根づいている。
本間さんはこの文化を日本でも広めたいと思うようになった。

※ブルワリーパブとはビールなどを醸造する場所のこと。

このままの仕事でいいのか

2年間の休職制度を終えた本間さんは、2010年にシアトルから仙台へ戻り総務部門で仕事をしていた。

「原子力発電所は安全ですよって案内する仕事だったのが、あの震災と原発事故で一気に逆転してしまうわけですよね。心の中では、もしこれで事故があったらどうするのかな、という側面もありながら仕事をしていました。だからといって原発反対という訳ではないのですが、自分の中で本当にやりたいことは何なのかと見直すいいきっかけになりましたよね。」

震災後、しばらくは対応に追われ不眠不休で働く日々が続いた。

「当時は仙台のマンションに住んでいて、海も全部見えていたので、津波の状況なんかも見えていたんですよね。何日間も石油のコンビナートが海で燃えている状態なども見ていました。あんなに悲惨なことがあって街中の電気も消えていたんですが、震災当日の星空があまりにも綺麗でとても印象的だったのを覚えています。」

人間はいつ死ぬかわからない。生きているうちに失敗してもいいから爪痕を残したい。このままこの仕事を続けていていいのか。悩みながら働く日々が震災後4年ほど続いた。

「子供の頃から生活水が井戸水で、水のありがたさを感じていたり、環境にいい社会づくりをライフワークにしたいという思いがありました。それがきっかけで電力会社に入って、広報業務をやって、小中学校の出前講座などでエネルギーのことを教えて。でも、エネルギーの裏返しは環境なんですよね。どうやって持続可能な社会を作っていくかというのを、仕事を通してより考えるようになったと思います。」

ビールビジネスをやりたい

本当に自分がやりたいことは何なのか。震災後から自問自答を繰り返すなかで、本間さんは様々なことを試してみた。その中には儲かるものもあったが、自分には向いていないと感じたという。

「答えを探していろんなことに手を出してみたのですが、自分のやりたいたいことは、人に楽しみを与えることであったり、ちょっとした幸せを与えることだと考えるようになりました。そんな頃にシアトル時代の仲間から『ビールビジネスやりたいよね』と誘われました。」

最初は軽い気持ちで仲間と2人で、まずはどこを切り口にするか考え始めた。ここで2人はビールを作る、飲むという部分ではなく、一次産業、つまりビールの原料の1つであるホップを作ることに目をつけた。

「日本ではまだまだ原料のところが整っていないんですよね。だったらホップを作るところからはじめてみようと。普通、日本だったら小さなビアパブをやって自分のビールを外部に委託して、それがうまくいったら自分のブルワリーを作るようなステップで進んでいきますが、それをやっている時間はないなと。クラフトビール業界で言ったら後発ですし、違う切り口で攻めていかないといけないなと思いました。歳ですし(笑)」

日本でもホップ栽培をしているところはあるが、多くは大手のビール会社と契約をしている。そのため、小さなブルワリーを運営する会社は海外からホップを輸入するのが当たり前だった。それでも、国産の採れたてのホップは需要があるはず。本間さんの見立ては当たった。

失敗しても野垂れ死にはしない

「自分達でホップを栽培しているブルワリーに会いに行ったら、『美味しいビールを追求するためにホップを栽培しているが、他で作ってくれる人がいるなら買いたい』といった声がありました。最初は競合するかなと考えていたのですが、逆にビール作りに専念したいという人が多かったので需要があると思いました。」

大手のビール会社の組合に入っているホップ農家にも交渉に行ったが、最初は難航した。それでも、高齢化・後継者不足といった問題があり、そこの改善に一緒に取組むことを粘り強く訴えていき、山形と宮城の2か所で協力を得られホップの栽培が始まった。

「ヒアリングを重ねて国産ホップの需要があることは確認できましたし、ホップ栽培も動き出してきたので、ある程度いけるかなと思いました。このタイミングでホップ作りを次の仕事にしようと決意し、2015年に会社を作りました。」

起業して最初の1年は仙台市のコワーキングスペースで事業を行い、その後、福島のファンドの支援を受けることが決まった。福島県内に本社を置くことが支援を受ける条件だったため、福島市に本社を移し、その1年後に復興庁の方から紹介を受けて田村市都路町の現在の施設を拠点にすることになった。

「当時の田村市の副市長の鈴木さんが、クラフトビール好きで面白がってくれました。どうせならホップを作るだけはなく、ブルワリーも作って地域活性化を目指そうという話になりました。思ったよりも大きい話になっていったので資金繰りが心配でしたが、田村市のバックアップもありましたし、この場所でやることに可能性を感じました。」

田村市都路町で事業を始めるにあたって多くの人に相談をしたが、8割の人が『こんな田舎にビール工場を作っても厳しい。』といった反応だった。立ち上げに関わったメンバーからも同じ意見が出たという。それでも本間さんはぶれなかった。

「田舎の方がインパクトはあるし、やりようによっては大化けするのではないかという期待感もあります。その代わり、ここでやるのであれば人生をかけるつもりでやらないといけない。と言っても、どうせ失敗したって、いまの日本では野垂れ死にしないだろうと思ってましたから(笑)」

ビールで目指す循環型の社会

田村市から事業計画書を1枚でまとめて欲しいと要望があった時、本間さんは「循環する町 田村市」というテーマで、ビールを中心に地域経済が循環する未来を描いた。

「ここで生産したホップを流通させ、その国産ホップを使ったクラフトビールで人やモノを呼び込み、6次産業化を目指しています。例えば、ホップのつるを紙の原料にしたり、廃棄されてしまう原料を飼料にしたり。また、福島大学の協力で、ビールのように低アルコールの飲料でもそのまま燃料として使える発電機があることを知り、宴会などで余ったビールやアルコール類を持ってきてもらい電気に変えることも考えています。つまり、それはホップ産業をはじめとして色んな人が関わる循環型の社会。自分が描いていた持続可能な社会に繋がるのではないかとイメージが膨らんでいきました。」

本間さんの構想は大きなインパクトを与え、賛同してくれる人も増えていった。いまは3人の方が田村市でホップの栽培を手伝ってくれている。1人は一緒に構想を考えてくれた田村市の元副市長。あと2人は元役場職員と元サラリーマン。

「前例のないものに人はなかなかチャレンジできないですが、3人とも退職されて全く未経験のことに挑戦してくださっています。特に自分でなにかをやったという意識は無いのですが、自然とそういう人たちが集まってくれて良かったなと思っています。全くゼロの状態からスタートでしたから、一緒に作り上げているという意識は強いです。勉強熱心で情熱がある元副市長の鈴木さん、会社を早期退職して農業を1から始める時に協力してくれた新田さん、市の農林部長の経験があり、定年退職直後に始めてくれた山口さん。皆さん、数年後には日本でも指折りのホップ農家さんになってると思いますよ。」

皆で乾杯している姿をイメージしながら

仙台から田村市に移って3年。生活に変化はあっただろうか。

「どうかな〜、まぁ仙台にいる時とは全く違いますね。朝は鳥の声で目が覚めるし、自然の中にいることを肌で感じています。ただ、正直に言うと、特に変化を意識はしていないです。仙台は仙台で好きですし。仕事帰りの一杯とかはほぼ無くなりましたね。なければ無いでいいですけど(笑) 都路のために、というあえて小さい範囲ではなく、ただ良い社会を作りたいという感覚でしかないので、都路でなくてもどこでも個人的には構わない。ただ、ここに縁があっていて、自分を表現できることがあるから今ここにいるって感じですかね。」

ホップの栽培は始まったが、ビールの製造はまだ委託している段階。醸造所を併設した試飲スペースも工事の途中。目指す世界はまだまだ先にある。それでも、本間さんにはたしかに描いている未来がある。

「言っていることが大きいので、いろんな人達をすでに巻き込んでいる。責任がある分、形になった時の喜びも多くの人と分かち合えるのかなと思います。このブルワリーがオープンした時にみんなで乾杯をする。そんな姿をイメージしながら楽しみにやっている感じですかね。藤棚を整理して、綺麗な藤が咲き乱れる中でクラフトビールを飲もうだとか、施設内のキャンプ場の整備だとか。1つ1つあるものを整備して活かして、増やしていく。この場所をこの町の起爆剤にしていきたい。広い意味では持続可能な社会の象徴にしていきたいと思っています。この構想を多くの人に応援してもらえるように、クラウドファンディングにも挑戦します。」

ホップの香り

「これからは都市部への一極集中から、田舎に人が流れてくると思うんですよ。インフラが整い、インターネットで繋がれるようになった今、わざわざ都会で働く必要がないと多くの人が気付き始めていると思います。今はまだまだ大変な状況ですけど、これから実現していく循環型の社会、そういったスタイルが好きな人にどんどん来てもらえるように打ち出していこうと思っています。私の事業にも、もちろん人が必要ですからね(笑)」

少し乾燥させたホップを本間さんが見せてくれた。
半分に割って少しだけ擦り合わせる。そのまま顔に近づけると、心地よい苦さを感じさせる香りがスーッと鼻を抜けていく。

「良い香りでしょ」

微笑んだ顔はなんだか嬉しそうだった。

裏表なく自分の思いを口にする本間さん。ブルワリーが完成して最初の乾杯をする時、そこには多くの人がビールを片手に本間さんが描く未来にワクワクしていることだろう。

(2019/9/25取材)

  • 取材・執筆:宗形悠希
    撮影:古澤麻美
  • 株式会社ホップジャパン
    https://hopjapan.com/