INTERVIEW

インタビュー

自ら動き、人を巻き込んでいくこと。多拠点生活・パラレルワークを実践するまちづくりコーディネーターの働き方

中山真波さん

出身地:東京都
勤務先:一般社団法人Switch
勤務期間:2020年〜
年齢:46歳

福島県田村市のテレワークセンター・テラス石森でまちづくり事業に携わる中山真波(なかやま・まなみ)さん。彼女は運営元の一般社団法人Switchに籍をおき、田村市地域おこし協力隊でありながら、個人事業主にてフリーカメラマン、そして県内の他地域でまちづくりコーディネーターとして幅広く活躍している「マルチプレーヤー」だ。東京都出身の中山さんは、東京の小売業の会社へ就職後、支店のある福島へIターン。ECの業務や飯舘村の道の駅「いいたて村の道の駅 までい館」の立ち上げを経て田村市に移住し、現在のような働き方にたどり着いた。さまざまな場所で、多様な仕事を展開してきた彼女の移住ストーリーとは?

中山さんが取り組んでいる仕事の内容は、一言で表すのが難しいほど幅広い。田村市の「テラス石森」でまちづくりコーディネーターとして働きながら、フリーランスのカメラマンとして飲食店のメニューや料理写真などを中心に撮影を行うほか、個人名義でも他地域の関係人口創出事業に取り組んでいるという。肩書きに縛られることなく活動の幅を広げる「マルチプレーヤー」だ。

そんな中山さんが復興支援事業に本格的に関わり始めたのは「いいたて村の道の駅 までい館」の立ち上げに関わったことがきっかけだった。2014年、避難指示が解除され始めた飯舘村で、復興の拠点となる道の駅が新たにオープンするという情報を耳にし、転職を決意。小売業のバイヤー、EC業務、カメラマンという多彩なキャリアを持っていた中山さんは、新たな場所でこれまでの経験を活かした仕事ができるのではないかと、縁を感じたのだという。

実際、入社後は物品の販売、商品企画、人事担当としての業務など幅広い仕事を担当。運営スタッフとして3年の月日を過ごした。運営が軌道に乗ってしばらくたった2020年、中山さんは次のステップに進むことを決意。飯舘村から田村市に転居し、一般社団法人Switchでの仕事とフリーランスとしての活動をスタートさせた。

テラス石森は、一般社団法人Switchが運営する福島県田村市のテレワークセンター。廃校となった旧石森小学校を活用し、新たなビジネス・雇用・職業の創出、働き方改革、学び・交流・情報発信の拠点として運営がされている。

習うより慣れろ。地方で心地よく過ごすためのコツ

新卒で就職した小売業の会社では、バイヤーとして支店がある福島と東京の本社を行き来する生活を送っていた中山さん。以来、多拠点生活を送っており、現在も田村市に仕事の拠点を置きつつも、仕事で関わりのあるいわき市と福島市を往復している。「多拠点生活」という言葉は今でこそよく耳にするものになったが、中山さんはその先駆者だった。「いつも動き回っているねとよく言われた。でもそれは私にとってはすごく自然なことだった」と、当時を振り返り笑みをこぼす。移住を検討している多くの人にとって、生活の拠点を移すことは高いハードルであり、実際中山さんのもとへもそうした生活面の相談が寄せられるのだという。しかし、慣れてさえしまえば不便はないと中山さんは話す。

「最初は気になる地域に通うことから始めてもいいと思いますし、住む場所も働く場所も複数の拠点に分散させることも手ではないでしょうか。生活面の中でも特に移動手段を心配する方も多いです。特に都市圏からの移住者にとってはこちらでの移動手段となる車の運転を不安に思う方がよくいらっしゃいます。

東京にいると移動時間も人混みで疲れてしまいますが、私にとっては車に乗っている移動時間は大切な1人の時間です。通勤の一時間は運転しながら、今日はどんな仕事をしようかなと考えたり、紅葉に目をやったりとゆったりした時間を過ごせています。捉えようによっては贅沢な時間だと思います。そうした不安を一つひとつクリアしていけば地方であっても心地よく過ごせるのではないでしょうか」

また、中山さんは2人のお子さんを持つ母親でもある。カメラを独学で学び始めたことも子育てをしながら働ける方法を模索した結果なのだという。福島県内の子育て環境については、自身が育った東京と比較して物たりなさを感じることもあった。しかし、同時に比較することができない魅力もあったのだと話す。

「やはり情報という観点では東京よりもどうしても少なくなってしまいます。選択肢の多さ、特に学校の数やその多様さは気になりましたね。ただ、自然環境など、それを補って余りある魅力が福島にはあります。福島県全体で考えれば選択肢は広がりますし、私の子どもたちはみな県内の大学に進学していきました。総じて、子育てには恵まれた環境だと感じます」

福島の「のんびり」を伝えていきたい

中山さんは、顔なじみの農家さんを訪れて他愛のない世間話をすることを日課にしているという。「そうして過ごすのんびりとした時間が心地よいから」と笑う中山さんは、根っからまちづくりコーディネーターという仕事が合っているのだろう。そして、カメラマンとしてもこの地域に暮らす人々の姿を写していきたいと話す。のんびりしている風景の中で生活する人々の姿。それが田村市の何よりの魅力だ。

「田村市は大きな観光地のような派手さはありませんが、稲刈りをしながら暮らす人々の姿をあちこちで見ることができます。この地域では当たり前の風景ですが、都市部から訪れた人にとってはまるで映画の中の世界のように美しく、新鮮に映るのではないでしょうか。昨日も車で知り合いの農家さんのところに行って立ち話をしていたんです。そうしたのんびりした時間をぜひ過ごして欲しいですし、そんな時間の豊かさを写真の仕事を通じて伝えていけたらと思っています」

中山さんの周りでも東日本大震災後に福島を離れた人は少なくない。それでも、魅力を伝え続けることで、少しずつでも福島を盛り上げていきたい。それが身軽に動き回る中山さんの原動力になっている。

「私自身、5年後どこに暮らし、どのように働いているのか検討もつきません。ただ、どこにいても自分で企画を立て、多くの人と関わりながら働いているのだと思います。テラス石森での仕事は始まったばかりですが、今後は近隣の地域も巻き込み、被災12市町村の支援事業に取り組んでいきます」

電波が通じてさえいれば暮らせない場所はないんです。取材の最後にぽろっとこぼしたその言葉が、彼女の身軽さと、たくましさを表していた。中山さんが田村市からどんな渦を生み出していくのか、注目したい。

(2020/10/20取材)