INTERVIEW

インタビュー

やりがいあふれる福島での農家生活。

稲福由梨さん

出身地:東京都 
勤務先:福福堂
勤務地:田村市 
勤務期間:2012年~

稲福由梨(いなふく・ゆり)さんは、東京で生まれ育った生粋の都会っ子。東京では管理栄養士として学校給食を作る仕事をしていた。その後、一泊二日の農業体験ツアーをきっかけに、田村市滝根町へと移住することになる。福島で農業を続けることのやりがいや、農業への想いを稲福さんに伺った。

農業体験をきっかけに農業に強い関心を

管理栄養士として東京で働いていた稲福さんが農業に興味を持ったきっかけは、2009年、農業体験に参加したこと。
「一泊二日での里山体験だったんですが、みんなで一緒に作業をするのも、もぎたての野菜を朝ご飯で食べるのもとにかく楽しくて!」もともと自然が好きだった稲福さん。農業の魅力に夢中になった。ご主人の和之さんとの出会いも和之さんが開催していた田植えを手伝ったことが縁で交際が始まったという。

しかし、様々な農業体験に参加していくうちに、ある危機感を覚えたという稲福さん。
「どこの地域も農家さんの高齢化問題が深刻でした。こんなに美味しいものを作れる環境があるのに作り手がいなくなるなんて…」。
この頃から結婚後は福島で農業に携わり、栄養士の資格を活かした農家民宿を始めるのが稲福さんの夢になった。

震災後の福島で農業を続ける決断

奇しくも2人の結婚式は2011年3月12日。4月から決まっていた稲福さんの福島での仕事は内定取り消しとなった。ご主人は滝根町で農業を続ける道を模索し、稲福さんは東京でもう1年仕事を続けながら、週末や休みの日にご主人を手伝いに来た。とはいえ、Iターンである2人はなぜそうまでして福島で農業を続けることにこだわったのだろうか?
「主人の農業仲間の中には、やむを得ず町や村を離れなければならない人もいました。やれる環境があるのだから、仲間の分まで頑張りたい、と主人は言っていましたね」。

原発からの距離は30数キロ。避難区域ギリギリの距離ではあったが、幸いにして放射線の数値は低かった。

だからといって農業の先行きは楽観視できるわけではない。
「これまでと同じやり方ではいけないと2人で話していました」。

たどり着いたアイデアが農作物の加工所を設立することだった。

加工所から広がる福島の農業の可能性

地域の農業のため、夫婦で話し合ってたどり着いたアイデアが農作物の加工所を設立することだった。

「近所の農家さんから収穫したブルーベリーでジャムを作れないか、という声をもらったことがきっかけです。通れば支援金が下りるコンペにこの案を持ち込みました」。事業化に対する経営の見通しの甘さから一度は落選したものの、アイデアと熱意は審査員にも伝わったという。「アイデアに共感して下さった方からサポートを受けて、再度コンペに挑戦し採用していただきました。おかげで自己資金と支援金だけで事業を始めることができました」。

農業の後継者不足問題には、体力的な負担の大きさと収入面への不満が背景にある。
加工所からも収益を出すことで、“農業でも稼げる!”というモデルケースをつくっていきたいです」。新規就農者に繋げる目的としても加工所にかかる期待は大きい。
現在ではブルーベリーの他に、甘酒やエゴマ油などの6次化商品を製造している。外部からの委託注文も年々増えており、農業とともに稲福家の家計を大きく助けてくれている。

これからの福島でやりたいこと

稲福さんが移住してから7年。農業に携わる中で苦労も絶えなかったはずだ。
「もちろん、大変なことはたくさんありました。出る杭は打たれるじゃないですが、人と違うことをすることに対して一部の地元農家の方からやっかみを受けたこともあります。でも、それ以上に優しくしてくれる人の方が多いです」。

現在は農業と加工所の仕事を掛け持ちし、少し前までは学校給食の仕事も並行していたという稲福さん。今年からは大豆の生産も試験的に始めた。ラズベリーの加工についても準備を進めている。もちろん、農家民宿の夢だって諦めていない。稲福さんにとって福島での農家暮らしはとにかく充実している。「東京にいた時より断然忙しいですね」。そう言いながらも表情はとてもいきいきしている。

(2019/2/7取材)

  • 取材・執筆:七海賢司
    撮影:舟田憲一