COLUMN

連載

内沼晋太郎さんが長野に移住して考えた「暮らし」の最適解

これまでHOOKでは福島県相双地域の移住者へインタビューを行ってきました。その中で、生活に大きな転換をもたらす「移住」の困難さが語られることも少なくありませんでした。「移住は地域に強い思いを持った人がするもの」そう捉えている読者の方も少なくないと思います。それは移住者の声を届けるメディアであるHOOKにとっての大きな課題でもありました。

そうした課題に向き合いながらメディアを運営する中、新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに私たちの日常生活には大きな変化が訪れました。リモートワークを導入する企業、オンラインで家族や友人とのコミュニケーションを行う時間は増加しました。そうした新たな生活様式が「当たり前」になる中で、今後の「住む」「働く」は大きく変化していくことが予想されます。この生活様式の大きな変化は「住む」「働く」を多様化させるものであり、より多くの人の「移住」という選択肢にリアリティを与えるきっかけになるのではないか。そうした考えのもと、HOOKではそれらの様々な働き方、暮らし方を実践されている方々について紹介する連載企画「コロナ以降の「住む」と「働く」を問い直す」をスタートさせることにしました。

今回ご登場いただいたのはブックコーディネーターの内沼晋太郎(うちぬま・しんたろう)さんです。内沼さんは2019年10月に東京から長野県の上田市に移住。仕事の拠点がある東京と行き来する生活をスタートさせました。新型コロナウイルスの感染拡大以降、急速に進んだ働き方の多様化を内沼さんはどのように捉えたのでしょうか? 

《プロフィール》

1980年生まれ。 NUMABOOKS代表、ブックコーディネーター。 東京の下北沢にある新刊書店「本屋B&B」共同経営者、長野県上田市に拠点を置き古本の買取・販売を行う「株式会社バリューブックス」社外取締役。そのほか、「八戸ブックセンター」ディレクター、「日記屋 月日」店主として、本にかかわる様々な仕事に従事。また、下北沢のまちづくり会社であり「BONUS TRACK」を運営する「株式会社散歩社」の取締役も務める。

東京を離れることで得られたものは多かった

東京から長野県の上田市へ引っ越したのは、バリューブックスの社外取締役をつとめていることがきっかけでした。元々数年にわたって、月に二度ほど足を運んでいたのですが、その中で折に触れて何度か「上田市に引っ越してはどうですか?」と冗談半分で言ってもらっていたんですね。いつか東京以外の場所に住んでみたいというのはぼんやり思っていましたが、ずっと現実的ではないと思い込んでいました。ですが第二子が生まれたあたりで東京での子育てに限界を感じはじめ、それがちょうどバリューブックスの仕事に本腰を入れて取り組みたいタイミングと重なったことで、真剣に考えはじめました。あきらめてまた東京に戻ることがあるとしても、子どもが小さいうちのほうがよいだろうということ、また、試すなら早いほうがよいという考えもあり、上田への引っ越しを決めました。

  引っ越してみると、思っていた以上に合理的な選択でした。食べ物は美味しく、自然も豊か。新幹線で上田駅から東京駅までは90分ほどですが、移動時間は仕事に充てられますし、家は広くなったのに家賃は約半分で、交通費を勘案してもお釣りがきます。新型コロナウイルスの感染が拡大してからはもっぱら車移動です。最近充実してきている音声コンテンツは、車移動に向いているんですよね。毎週仕事で通っているので、東京でしか見られない映画や展覧会も予定を合わせれば普通に行けます。

移住のために何かを犠牲にすることを覚悟していましたが、実際にやってみるとほぼ何も失われないどころか、かえって生活が豊かになりました。もちろん、東京で街に出たり人と会ったりする時間はやや貴重になりましたが、得られたもののほうがずっと多い。もうしばらく東京に住むことはないだろうなと、上田市に引っ越して1ヶ月ほどで実感しました。

「地方で働く」から見えてきたこと

感染症の拡大は自分の店や仕事にも甚大な影響を与えていますが、一方リモートワークという概念が浸透し、離れた場所の人と仕事をすることが当たり前になったことは、偶然にも自分の選んだ生活スタイルに合っていました。どうせオンラインで会議をするのであれば、どこに住んでいても変わらないどころか、むしろメンバーがあちこちに散っているほうが面白い。東京で打ち合わせをしている時は相手がどこでどのように暮らしているのかを気にすることはありませんが、今は自然と話題になります。

当初は、仕事相手との初対面がオンラインになることを不安にも思いましたが、杞憂でした。むしろ元々関係性ができていた人とのコミュニケーションの方が難しい。対面でちょうどいい距離感ができていたからこそ、接し方を少し変えなきゃいけない。情報量は対面で会話する時よりも減りますから、雑談をしてから会議を始めたり、チャットでちょっと言葉をかけたりなどのフォローも必要です。たしかに心理的なストレスを感じることはあり、リモートゆえの悩みを抱えている人もいまは多いと思いますが、たくさんの人が同じ状況に直面しているので、いずれこうしたリアルとオンラインの溝を埋めてくれるツールがいろいろ出てくるはずだとも思っています。この数年で拠点を移動する人がさらに増えることは、まず間違いないといえるでしょう。

さらに僕の場合、東京の下北沢で運営している「BONUS TRACK」の小田急電鉄さんとの契約期間が20年なので、自分が60歳になるまで仕事上の軸足を下北沢に置き続けることが決定してしまってしまっているんですね。だからこそ、もう一方の軸足である生活の拠点を東京から離すことによって、東京の魅力、下北沢の魅力を客観視できる自分であり続けたいという意図もありました。最近になって少しずつ、実際にそうした「遠めからの視点」を持てている自分を実感しつつあります。僕のように東京から拠点を移す人も、その多くがそれぞれのペースで東京と関わりを続けたいとは思っている。そのような人それぞれの気持ちが想像できるようになったことが、東京での場づくりに生かせてきている感覚がうっすらあります。まだまだこれからですが。

本屋B&Bは、この感染症によって、ビジネスモデルの転換を余儀なくされました。これまでは毎日、リアルで著者を招いたトークイベントを開催していて、イベントの集客の良い日は本やビールの売上もよく、それら全体でビジネスとして成り立っていました。しかし、いわばライブハウスなどと同じで、それはリアルな店舗の中に人が密集することを前提としています。それができなくなって以降、イベントは全てオンラインに切り替え、いまでは以前と同じペースでほぼ毎日開催できるようになりました。今後、東京の一極集中が徐々に分散していく中で、リアルな空間、そこに密集することの価値も変わっていくはずです。感染拡大が収まりワクチンが行きわたったとしても、元通りの世界がやってくることはおそらくないという前提に立って、それでもリアルで店舗を構える本屋としてのこれからのあり方を、いまも試行錯誤しながら組み立てている最中です。

小さな変化に慣れることで、大きな決断にたどり着く

僕はこれまで恵比寿、中目黒、西麻布、下北沢、と東京の西側を転々として生活の拠点を置いてきました。最初の著書には「東京の都心の近くに住む」という見出しで書いている文章さえあります。何かが起こる現場の近くにいたほうが巻き込まれやすいという主旨でした。また、時間は大事な資産なので、家賃が数万円上がってもアクセスの良い立地に住むべきだとその当時は主張していました。

もちろん、この考えも変わりました。言うまでもなく、機会をつかむという意味では、いまはインターネット、特にSNS上が「現場」であることも多いでしょう。また、マスに関わる仕事をしている人はともかく、そうでない仕事においてはむしろ、東京以外の場所に価値を発見することのほうに可能性が広がっていると感じます。自分は今年、上田市にバリューブックスとしての関わりは引き続き持ちつつも、生活拠点はさらに人口の少ない御代田町というところに引っ越して、そこで友人たちと新たなプロジェクトを立ち上げる予定です。

自分が生活を通じていろいろ試してしまいがちなのは、予定調和じゃないほうが好きだからというのもあります。未知の状況に巻き込まれて、その中で考えるのが好きなんです。「長野にいるんですね」という会話から生まれるものが増えていて、そこにいつも前向きな空気を感じています。自分が偶発的によい流れに巻き込まれそうな場所を選んでいるんですよね。

小さなチャレンジをすることで大きな決断ができるように僕自身が変化をしてきました。上田市に引っ越す前に、下北沢から少し離れた狛江市に移ったんです。そのときは上田に行くとは思っていなかったので結果論ではありますが、中心から少し離れた場所で生活したその時間があったからこそ、東京を離れても大丈夫だと思えたというのはあります。まずは、自分の思う限界のところに身を置くこと。それを繰り返すことで段々と変化に慣れ、選択肢が広がっていくのだと思います。移住を少しでも考えていて、けれどなかなか勇気の出ない人は、まずはちょっとだけ離れてみるのがいいかもしれませんよ。

(2021/1/25取材)