INTERVIEW

インタビュー

「被災地ブランドに甘えちゃいけない」市役所観光交流課・馬場さんが取り組む、南相馬のファン作り

馬場仁

出身地:福島県南相馬市
勤務先:南相馬市役所
勤務期間:1998年4月〜
年齢:45歳

市役所のような公的機関の業務というと「真面目な」「お堅い」イメージを持つ人も少なくないだろう。 だが、南相馬市役所観光交流課の馬場仁(ばば・じん)さんのように「誰よりも仕事を楽しむこと」をモットーにするユニークな方の話を聞けば、それが単なる固定観念だったとわかる。

2021年で市役所勤務23年目となる馬場さんは、東京都の杉並区役所への出向経験を経て、2016年に立ち上がったばかりの定住推進課に配属。現在は観光交流課の係長としてSNSを通じた広報業務や移住支援業務を通じて南相馬市のファンの創出に取り組んでいる。そんな馬場さんに観光交流課での取組みと地元である南相馬市への思いを伺った。

誰よりも仕事を楽しむ公務員

南相馬市役所の観光交流課で係長として働く馬場さんの主な業務の内容は「地域のファンづくり」だ。福島県内外でのイベントの企画運営、南相馬市を巡るツアーの企画、南相馬市サポーター会報誌『ミナミソウマガジン』の発行など多岐にわたる。

その目的は南相馬市に移住する人はもちろん、離れた地域から関わる人、いわゆる「関係人口」を増やすこと。ボランティアを通じて、農業を通じて、あるいはサーフィンを通じてといったように様々な切り口から、市民の皆さんを巻き込みながら関係人口の創出に取り組んでいる。

役所というと少し「お堅い」印象を持つ方もいると思うが、そうしたイメージは馬場さんには当てはまらない。それは「自分たちが楽しいと思えることをやる」という一貫したテーマで仕事に取り組んでいるからだ。時に周囲の職員に驚かれながらも、自分の興味を貫き通すのが馬場さんの流儀だ。

「面白いと思ってもらえないと人はわざわざ来てくれない。『仕事だから』という姿勢ではダメですし、まずは自分が楽しむこと。市役所という組織の中ではやり過ぎだと言われますし、上司からも叱られることもあります(笑)でも、正解かどうかはやってみないとわからないですし、もし失敗してもその経験は自分に蓄積されていきますから」

そんな馬場さんの働く姿勢に感化され、職員の意識も変わってきたという。東日本大震災という苦難を乗り越え、今は旧態依然とした自治体が変わるチャンスだと馬場さんは続ける。

「自分からやりたいと手を挙げてきてくれる人が増えてきました。若い子がのびのび自由にやっている様子は嬉しいですね。彼らが出してくれた意見をなるべく否定はせず、形にしていくようにしています。

以前は自分で動きを作り出すことを意識していましたが、一人ではアイデアに限界もありますし、若い子を中心にいろんな人の意見を聞いて、やりたい人がやりたいことを実践できる環境をつくれるよう心がけています」

いつまでも「被災地ブランド」に甘えていられない

今でこそ観光交流課の「変わりもの」職員として活躍する馬場さんだが、入所後は長らく契約関係等の内勤業務を担当し、広報活動や移住支援に力を入れ始めたのは杉並区役所から戻ってからのことなのだという。

きっかけとなったのは東京都杉並区役所への出向だ。出向先では、東京一極集中の是正に向けた地方創生に関する計画づくりを担当し、東京から地方への移住のニーズを調査研究するアンケート等を実施した。そこで東京都の職員と話をするうちに福島県内の実情が伝わっていないことを痛感したのだ。

「南相馬の出身だと伝えると『まだ住むことができないんだよね』と言われたこともありました。震災後に流れたニュースの印象のまま変わっていなかったんでしょうね。でもそれは仕方のないことで、自分たちからの情報の発信が足りていなかったんです」

そこで馬場さんはSNSを活用し、今の南相馬市の様子をもっと県外の人にも伝えていくべきだと南相馬市役所に提案。出向から市役所の勤務に戻ってからは、新たに立ち上げられた定住推進課に所属し、移住促進やプロモーション業務に取り組むことになる。

とはいえ、新しい部署でほとんど未経験の業務。経験のある人から学び、外からアイデアを取り入れ、仕事に必要なネットワークをつくる必要があると感じ、まずは県内外のイベントなど「楽しそうな場」に積極的に足を運ぶことにした。出向先の上司に相談した際に「やりたいことを実現するためには仲間を集めるべきだ」と言われたことが後押しになってのことだ。

「出向を経験するまでは視野が狭く、南相馬が抱える地域の課題も見えていませんでしたし、どんなプロモーションをするべきかなど考えてもいなかった。ですが、杉並区のプロモーション活動に関わるうちに『無意識のうちに被災地というブランドに甘えていたんだ』と危機感を覚えたんです。このままではまずい、自分がやらなければと感じました」

町の看板を背負っているのは役所ではない

杉並区役所に出向したのは東日本大震災から5年後の2016年、馬場さんが40歳の時だ。自身も公務員は型にはまった仕事をするというイメージを持っていたが、そこから脱したいと考え始めたのもこの頃だ。

そんな馬場さんの原動力となっているのは「この地域に住んでよかったと思ってもらいたい」という地元への思いだ。東京の大学を卒業後、南相馬市役所に入所。都会での生活に後ろ髪を引かれることもあったが、住民の方々と一緒にまちづくりをするこの仕事を離れることはなかった。入所から23年たった今でもその気持ちは変わっていない。

「公務員として働いてきて、自分が町の看板を背負うような気持ちでいたこともありましたが、それは間違いだったんです。なにを生意気言っとったんじゃと(笑)この年になると、昔はやんちゃをしていた地元の友人が地域を盛り上げ、守っていたりする。地域を支え、町をつくっているのは彼らなんです。それがやけに嬉しいんです」

南相馬市は東日本大震災後、大幅に人口が減少してしまった町。さらにコロナウイルスの感染拡大により観光客や移住者の足は遠のき、苦しい状況が続くことが予想される。定住推進課から観光交流課と杉並区から戻って5年目、東日本大震災から節目の10年目となる2021年。本当に南相馬市が変わることができるのかが問われている。

そんな逆境のなかでも馬場さんはからからと笑う。きっと、この明るさが人を寄せ付けるのだろうと思わせる、気負いのない笑顔だ。

「ネガティブなムードが世の中を包んでいるからこそやる気になるんですよ。この町を、役所を、ポジティブに変えていきたいですね」

(2020/12/21取材)