INTERVIEW

インタビュー

「やりたい仕事」に導かれ移住を決意。双葉郡でフリーライターとして働く理由

山根麻衣子さん

出身地:神奈川県
勤務先:いわき経済新聞 / とみおかプラス
勤務期間:2017年〜
年齢:44歳

フリーライターの山根麻衣子(やまね・まいこ)さんは、東日本大震災後、神奈川県を拠点に震災のボランティアスタッフとして東北支援に関わり、2014年に福島県に移住。福島の県職員などを経て、現在は広域いわき圏のビジネス&カルチャーニュースメディア「いわき経済新聞」の編集長、福島県双葉郡富岡町のまちづくり会社「一般社団法人とみおかプラス」の広報を務めながらフリーライターとして活躍している。彼女はどのような思いで移住を決め、地域と関わり、貴重な「声」を届けているのだろうか?

高校時代からライターとして働きたいと考えていた山根さん。その経歴は、やや異色なものかもしれない。大学卒業後、出版社で働く希望は叶わず接客業の仕事に就くことに。やりがいを感じ、仕事に打ち込んでいたが、次第に、「これが本当にやりたかった仕事だろうか?」と疑問を持つようになっていたタイミングで、東日本大震災が起こる。計画停電、自粛の影響で来客の足は途絶え、仕事は一時休業状態を余儀なくされた。

そんな状況下で、被災地のために何かできることはないか。そう考えた山根さんは、神奈川県が地域団体と連携するボランティアステーションでボランティアスタッフとして支援活動をスタートする。業務内容は神奈川から東北にボランティアへ行く人たちの支援を行う団体の立ち上げ業務だ。

横浜でボランティア業務に関わる山根さん

地域に溶け込むためには「自分の経験・思いを語ること」

ボランティア活動にやりがいを見出した山根さんは、ボランティアステーションの運営の中心となっていたNPOの代表からの誘いもあり、2011年6月に勤めていた会社を退職。翌月NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボに入社。岩手の沿岸部を中心に現地の取材を行い、記事を書き、同時にボランティアツアーのコーディネートを行うという働きぶりだった。その後は、フリーランスでイベント事務局などの仕事を経て、一般社団法人RCFへ転職。東北支援業務に向かうスタッフをサポートする事務局業務に取り組む。ボランティアとして、仕事として、様々な立場から被災地に関わってきた山根さんが東北移住を真剣に考えるようになったのがこの頃だ。

「2012年ごろまでは人、もの、情報、あらゆるものが足りない時期。なので関東からでも力になれることは沢山ありましたし、現地に足を運べば何かしら協力できることは沢山あったんです。しかし次第にボランティアとしてサポートしたい気持ちと、現地のニーズとのギャップを感じ始めました。ボランティアで通い続けることは金銭的にも厳しいですし、長く関わるのであればやはり現地に行きたいなと。そう考えていたタイミングで福島県いわき市で勤務する、双葉町役場の復興支援員に欠員が出て、私に打診があったことで、福島への移住を決めました」

晴れて移住することになった山根さんだが、現地での業務は思うようには行かなかった。

移住前に関わっていたのは岩手の津波被災地。福島の原発被害について、話は聞いていたものの、その実情は想像を大きく上回るものだった。そのため、現地では思ったように活動ができず、空回りをしてしまう。町の人と信頼関係を築くまでには一年以上の時間がかかったという。移住者にとって人間関係の構築は必ずぶつかるハードルだ。山根さんはどのように現地の人と関係を築いていったのだろうか。

「まずその土地に長く暮らしている方、年配の方に対する人生、町に対するリスペクトは必要ですよね。常に感謝の気持ちを持ち続けることが大事。そしてそれを表明して、伝えることですね。

一方で、自分自身が楽しそうに暮らしているところを見てもらうことも大事だと思います。私は小さいときに、自分で田植えや釣りなどをして、それを食べる、というような、原自然に触れ合うことがない環境で育ってきた。地元の人にとっては当たり前のことでも、その経験自体が楽しい。私が真剣に楽しんでいることがわかると、地元の方はすごく喜んでくださる。何気ない生活や生業が、実はかけがえのないことであると伝え、日常に埋もれている価値に気づいてもらうことが大事だと思います」

富岡町の農家さんの田植え機に乗せてもらう山根さん

「大切なみんなの声を届けていきたい」いわき経済新聞の編集長に

山根さんは2016年3月まで双葉町の復興支援員として働いたのち、2017年には、インターネットメディア・いわき経済新聞の編集長に就任することになる。きっかけは、横浜のNPO時代の上司である、ヨコハマ経済新聞の編集長から山根さんに「いわき経済新聞を運営できる人を探している」と打診があったことだ。

「ウェブメディアに関わる仕事をしている人が少ないいわきで適任者を探すのは難しい。同時に、私の周りで活動をしている友人や知人たちは、県外に情報を発信したいけど、その方法がつかめないようでした。それならば、私がその手伝いをすればいいんだと思いました」

被災地でこれまで積み重ねてきた活動と、メディアの仕事がしたいという思い、そして周囲からの期待がぴったりと重なった山根さんはいわき経済新聞の編集長に。同時にフリーライターとしても活動の幅を広げていく。2019年4月にはいわき市から双葉郡楢葉町へ、2020年4月には富岡町に移住した。地域の情報発信を行う上で、その町に身を置き、生活者の視点を持つことは大事なのだという。

「私はいつでも取材者というわけではありません。この町で遊び、働き、普通の住民として暮らしています。あくまで生活者としてこの町に暮らしながら、発信したいものを伝えていく。生活者の視点を持ちながら、取材対象に触れていくことが、その地域のことを伝えるために大事なんじゃないかと思っています」

同じ移住者の女性を取材している様子

移住者の視点を大事にしながら、「今の福島」を伝えることが役割

フリーライター、いわき経済新聞編集長に加え、今年4月からは富岡町のまちづくり会社「とみおかプラス」の広報としての仕事もスタートさせた。いわき経済新聞では、継続するための運営体制を強くしていくこと、とみおかプラスでは、町内にとどまらず、「福島県の富岡町」として広い視点で情報を発信していくことが今後の目標だと意気込む。山根さんを突き動かす仕事のモチベーションはどこからやってくるのだろうか?

「読者はもちろんですが、取材した人に喜んでもらえることが何より嬉しいですね。最近は東京で暮らしている福島出身の友人から連絡をもらうことが増えたんです。出身者だからこそわからない、やりにくい部分もあるんですよね。一方、どれだけ長い期間福島に暮らしたとしても、私はあくまで移住者。内と外、両方の思いがわかるというところに、私の役割があると思っています。

県外から福島に興味を持ってくださるのは、今ではごく一部の人たちになってしまっています。震災直後のイメージのまま止まってしまっている人も多いと思うのですが、それを少しずつ変えていきたい。震災から9年たって、今の福島、特に浜通りは、現在進行形のまちづくりを楽しめる環境だと、私は思っています。過去のイメージを引きずったまま、今の浜通りを知らないなんてもったいない。今、福島でこんな面白いことが起こっているというのを、ぜひ見に来て欲しいですね」

とみおかプラスのPRのため、ラジオに出演する山根さん

(2020/7/7取材)