INTERVIEW

インタビュー

目の前の生徒のためにできることを。飯舘村の教育現場で取り組む試行錯誤

会田完三さん

出身地:新潟県 
勤務先:花まる学習会(飯舘村立飯舘中学校)
勤務期間:2017年~ 
年齢:54歳

「ちゃんとしたことは喋れないですよ。話半分に聞いてくださいね」。会田完三(あいだ・かんぞう)さんは、取材に伺った私たちを教室へと招き入れるなり、冗談まじりに言った。会田さんは、大学時代からスタートさせた役者活動に20代を捧げ、その後、教師へと転身した経歴を持つ。飯舘村には、神奈川県で私立高校に勤務した後、「花まる学習会」へと転職したことで赴任することになった。私立高校の教師だった彼が、なぜ飯舘村にやってきたのだろうか?会田さんが在籍する飯舘中学校を訪れ、その経緯を伺った。

「今がその時」だと感じ、飯舘村へ

謙虚で、丁寧でありながらもサービス精神が旺盛。会話の節々に冗談を織り交ぜながら、とても楽しそうに話す。それが、会田さんに初めて会った時の印象だった。その人柄でどんな人とも人間関係を上手く築くことができるだろう。そんな安心感を与えてくれる人だ。

彼が所属する「花まる学習会」は埼玉県に本部を置き、「メシが食える大人」を育てることを理念とする学習塾だ。それまで飯舘村とは、無縁に暮らしてきた会田さんが移住をしてきたのは、飯舘中学校が受験対策のために行っている「放課後塾」の運営を、「花まる学習会」に依頼したことがきっかけだった。

「花まる学習会」は、主に小学生を対象とした学習塾で、神奈川県有数の有名進学校で数学を教えてきた会田さんの実績は珍しい。そして、中学生を相手に受験指導を行う実績としては、これ以上ないものでもある。飯舘村に常駐しながら放課後塾を運営する教員として、会田さんに白羽の矢が立った。

「初めて声をかけてもらった時は面白そうだと思いましたね。そして、自分がやるべきだなと。東日本大震災の様子をテレビで見ていて、いつか何らかの形で役に立ちたいとは考えていました。それは使命感というようなものではなく、ぼんやりと頭の片隅にあったもので、今がその時なんだなと」

役者を断念するも、トントン拍子で決まった教師への道

人生において重要な決断をする時、会田さんは軽やかだ。大学時代から13年間続けてきた役者活動だったが、首の怪我を理由に断念。そこで、ふと大学時代に取得した教員免許の存在を思い出し、すぐに教師の道へ。一度決めたらすぐに行動。役者への未練は特になかったのだという。

「神様が『やめろ』と言ってるなと思ったんです。療養中、ベッドの上で横になっている時に、ふと教職免許を持っていたことを思い出しまして。それで、試しにと思って履歴書を出してみたらトントン拍子に採用が決まりました。それで、私立横須賀学院中学高等学校の教師になったんです。他の教員に言わせると、自分は生徒との距離を縮めるのが上手らしくて。役者をやってたもんだから、教科書を台本のように覚えちゃうんですよ。最初の頃は、未熟ながらも身振り手振りで授業をしてみると、生徒におもしろいと言ってもらえて。結果的に、学校の先生が自分に合っているんだと思いましたね」

様々な教育の現場を経験し、たどり着いた新たな環境

横須賀市で13年間高校の数学教員として過ごした後は、父の介護のために故郷の新潟へ戻り、進学塾を運営。その後は神奈川県へ戻り、私立の有名進学校、栄光学園で2年間働いた。飯舘村が避難解除された2016年、「花まる学習会」に入社し、2017年に飯舘村へやってきた。公立高校、私立高校、進学塾と様々な立場から教育に携わってきた会田さん。赴任当初、民間企業から地方の公立中学校に出向するという特殊な立場での仕事に、難しさも感じていたという。

「学校教員も経験し、新潟で数学専門塾を経営していたので、授業に不安はありませんでしたね。学校の先生は、塾の運営と同じ感覚じゃダメなんだとその時の経験からわかっていたので。ただ、一筋縄じゃいかないなと思ったのは、非常に複雑な立場でこの学校に在籍していることです。でも、そんな中でもしっかりと結果を出したいじゃないですか。生徒に喜んでもらいたいし、先生方にも来てくれて良かったと思ってもらいたい。だから、1年目は苦しかったですね。2年目からなんとか軌道に乗り、やりたい授業ができるようになったかなという感覚があります」

深く関わるからこそ見えてきた、過疎化の問題

試行錯誤を重ねながら、周囲の信頼を得てきた会田さん。もともとは放課後塾のみの担当を予定していたものの、業務範囲は拡大し、今では日中の通常授業も受け持っている。さらに、深く現場に関わっていくうちに、より大きな課題が見えてきたという。

「飯舘村は原発事故の前から、過疎化が進んでいた地域なんですよ。今後、貧富の差も広がっていくと、教育格差も相関して広がっていく。将来の飯舘村で起こるこれらのことは、日本の社会が抱える問題を先取っているだけのことでもある。そして、それを解決する決定打を誰も打ち出せていないんですね」

そこで、会田さんは過疎地でも持続可能な学習指導の方法をつくり、残していきたいと話す。

「近隣に学習塾がなく、私立に比べて生徒の間で学力差が大きい公立の学校でも、塾に通わずに県内トップ校に入れる生徒が出てくるようにしていきたいですね。そのために今は、学校が使っている教材を用いた個別学習法の提案をしているところ。これは少人数化が進む過疎地の学校だからこそできる方法かもしれません」

飯舘村で、あるべき教育の形をつくっていきたい

いつか会田さんは、飯舘村から離れることになる。その時のために、ここに残せるものをつくりたいのだという。会田さんが飯舘村を訪れて、感じたことのひとつに「支援の難しさ」がある。現場の視点のない支援は、下手をすれば「善意の押し付け」にすらなってしまう。だから自分の「何かしたい」を出発点に考えるのではなく、受け取る側の視点から支援を考えることが重要だ。取材の最後に「教育にとって一番大切なことは何でしょうか」そう、質問を投げかけてみた。会田さんは答える。

「先生と生徒の間の中でしか生まれないもの。それを大事にすること。シンプルなことだと思います。AIを使った教材とか、新しい形の授業や教育法とかがもてはやされてますが、僕はちょっと違うと思うんですよね。目の前の生徒のために何ができるかを考える。それが大事なんじゃないですかね」

会田さんはどんな場所で働いていたとしても、教師であり続ける。会田さんと生徒がいる限り、その場所が学校になる。そう思わせてくれる言葉だった。

(2019/12/10取材)

  • 取材・執筆:高橋直貴
    撮影:小林茂太