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相双U-30座談会「被災地の10年、これまでとこれから」【後編】

東日本大震災から10年を迎えます。相双地域で活躍する方々はこれまでの10年と、これからの10年にどのような眼差しを向けているのでしょうか。

今回、HOOKでは過去にインタビューに答えてくれた3名の方々に声をかけ、座談会を企画しました。参加者は南相馬の株式会社野馬追の里が運営する商業施設「セデッテかしま」で副店長を務める小川有哉(おがわ・ゆうや)さん、浪江町役場で広報を担う及川里美(おいかわ・さとみ)さん、楢葉町の交流施設「みんなの交流館 ならはCANvas」を運営するまちづくり会社 「一般社団法人ならはみらい」で働く森雄一朗(もり・ゆういちろう)さんの3名です。

震災後の歩みから、新型コロナウイルスの影響を受けた現在のこと、そしてこの先の10年を見据えた課題とこれから向かっていこうとしていることまで。前後編でお届けします。

後編は3名が見つめるこの先の10年の課題、そして、それを乗り越えるための展望について伺いました。

これから必要とされるのは地域を超えた「情報の連携」

--新型コロナウイルスの感染拡大により、現在は目の前の課題に向き合っている最中ではありますが、これからの10年を見据えて、今後みなさんが取り組まれていくことを伺えればと思います。

及川さんは以前の取材で情報発信にさらに力を入れたいとお話しされていましたね。具体的にどんなことに取り組んでいきたいと考えているんですか?

及川さん:浪江町役場では現在、YouTube、Twitter、Facebookを通じて町の情報を発信しているのですが、今後はラジオのように音声で浪江の現在を伝えていきたいなと計画しています。

--なぜ音声なんですか?

及川さん:動画の撮影の際にカメラを向けると、みなさんどうしても緊張で固まってしまうんですよ。でも音声だけなら、もっと自然にお話ししやすいと思いますし、町民の皆さんの様子をリアルに伝える手段としては有効かなと。今後、町民の皆さんのリアルな声を発信できたらいいなと考えています。

--情報発信という観点では、今後は町内に限らず被災した各地域間の連携が必要だとお話しもされていましたね。そういった取り組みも行っていくのでしょうか。

及川さん:役場というところはやはり町という単位でしか動くことができないため、現在の職場で働く限りは町の方と向き合うことに取り組んでいきたいですね。

ただ、いつかそうした団体を立ち上げたいとは考えています。各地域でアクションを起こしている団体はすでに数多くありますので、そうした団体同士を繋ぐような役割を担えたら広がりが生まれていくと思っています。

森さん:情報の共有が十分に出来ていないことによる問題っていろいろなところにありますよね。私が業務で担当している範囲でも、近隣の地域で大きなイベントが重なってしまい、お客さんが二分してしまい、もったいないなと思うことはありました。役場に限らず、町内の有志の団体や道の駅の運営会社などがもっと密接に連携し、お互いに相談ができるような関係をつくれたら理想的ですね。

小川さん:確かに、物販という観点からでも他の地域の業者さんなどとやり取りをしていると、中間の機関や窓口があるといいなとは感じますね。

森さん:外からの連携と共同は必要ですよね。双葉郡を例にとってみてもの避難指示の解除タイミングがバラバラだったため、役場・会社が独自にやってきた側面があるので、及川さんがおっしゃっていた通り、既存の組織の内側からは動きにくい部分もあるかもしれません。

ただ、観光や視察の受け入れなどの面で協力することは可能だと思いますし、実際に地域が連携して一体となった受け入れ態勢を作っていこうという話は進んでいます。楢葉町にいらっしゃる方でも楢葉だけを目的に来る人はほとんどいないので、周辺地域も同時に案内できる仕組みは需要があるかもしれません。

小川さん:いいですね。地域を横断した連携の仕組みや全体で周遊できるようなツアーなども面白そうですよね。地域の交流人口がより拡大・活性化することはやはり長期的な課題の1つと感じます。

--セデッテかしまのように各地の「モノ」が集まっている場所はそうした地域のハブとしても機能することができる場所ですよね。モノが集まれば、人や情報も自然に集まってきますから。

小川さん:そうですね。地元客はもちろん県外の方がふらっと立ち寄って近隣地域の情報をキャッチできるような場所になれば各地の観光支援にも繋がっていくんじゃないかなと思います。現在は生産者側が売り出したい産品を企画コーナーと位置づけ売り出しており、今後は自ら企画を立てて各地域の産品などの情報発信にも力を入れていきたいんです。お2人はセデッテかしまにはいらっしゃったことはありますか?

森さん:ありますよ!  実は2週間前に鹿島へ出張に行ったので立ち寄ったばかりです(笑)楢葉町も現在特産品の開発に力を入れているので、ぜひ取り扱ってください。

小川さん:いいですね。どんなものですか?

森さん:鮭とばと、地元の中学生が開発したゆずエキス入りのハンドソープが一押しの商品です。

《楢葉町の特産品》

小川さん:地元の若い子がつくったというのはストーリーを感じられて素敵ですね。浪江町はどんなものがありますか?

及川さん:浪江町では町内で飲まれている水道水をペットボトルに詰めた「なみえの水」も最近販売を開始したんです。やはり風評被害があって「安全なの?」という声をいただくことが多いのですが、そうしたイメージを払拭していけたらと思います。あと、ゆるキャラグランプリで2年連続福島県内で1位を獲得した町のイメージアップキャラクター「うけどん」もおすすめです。ぜひプッシュしてください(笑)

《うけどんと浪江町の特産品》

相双地域で働く3人が考える、それぞれのキャリア

森さん:お2人は今後のキャリアをどのように考えていますか? 私自身、10年単位の長期的な視点で考えることが苦手で、お2人がどのように考えているのかぜひ伺いたいなと思っていました。

小川さん:私は現在セデッテかしまで副店長として働いています。組織の中でキャリアの形成を考えるならば次は店長を目指すことになりますね。ただ、立場に関わらず商品開発、店舗づくりなどの力をつけていきたい。他とは違う品揃えや施策の打ち出し方など、それはどんな仕事にも生きてくると思うので。

--独立や転職などは視野にいれてはいないのですか?

小川さん:そうですね。手前味噌ですが、運営会社である「野馬追の里」は面白い企業なので、まだまだこの会社でやっていきたいなと。公設民営の特色を活かして、地元地域の意見を取り入れたオンリーワンの魅力を紹介していきたいとおもっています。

--及川さんはいかがですか?

及川さん:近い将来では、現状の情報発信やPRをもっと強化していって、浪江町って聞いたら誰もが「いろんなことにチャレンジしていて、食べ物も美味しくて、すごく良いトコロだよね!」とイメージするような町にしたいと思っています。

長期的には先ほど言ったように広範囲を繋いだ情報発信の仕組みづくり、原発事故のマイナスイメージを払拭するような団体、会社を立ち上げたいですね。ただ、それは現在の仕事を通じてしっかりと町民の方と向き合い、信頼を得るような仕事を積み重ねていった先にあるもの。いつか実現したいですね。

--10年というと長いように感じますが、何かを変えていくための期間と考えると非常に短いですよね。

及川さん:10年という時間は前向きに考えている人は「早い」と言いますが、そうでない方は長いとおっしゃいますよね。私自身、あっという間に感じました。特に浪江に戻ってからの2年は早かったですね。

森さん:10年というと節目のようにも感じられますが、住んでいる方々は特に意識することもないですよね。「◯◯があったのは震災の前だっけ?」というように、共通の記憶になってはいますが。

及川さん:確かに日常の中で意識することはないですよね。

森さん:僕自身、いつかは地元に帰るんだよね?と言われることも少なくないんです。「雄一朗ってことは長男なんでしょ?」って(笑)

小川さん:長男へのプレッシャーがあるのは田舎あるあるですね。僕も長男なのでわかります(笑)

森さん:お2人のように具体的には描けていないですが、楢葉に関わっている方が納得してこの町に住んでいけるよう、サポートをできたらいいなとは思います。家族の問題などの選択で楢葉を離れる時が来るかもしれませんが、どこにいても情報発信などはしていきたいなと思います。そういった意味でも町の内外のつながりを紡いでいきたいですね。

及川さん:そのためには共感、信頼できる仲間が必要ですよね。

森さん:そうですね、仕事に関わらず誰とやるかを大切にはしています。いろんな肩書が邪魔になったり、自分たちの世代はそういったもの関係なしにやっていこうよと。良いものを作っていくのであれば、人間関係を乗り越えてやっていこうよと言えるのは心強い。そういった仲間を増やしていきたいですね。

震災を超えて、10年後の「わたしたちの住む町」

--最後になりますが、10年後どんな町にしたいですか?

小川さん:南相馬は都心のように賑わう地域柄ではない。観光資源も潤沢というわけではありません。ただ、それでも決して魅力がないわけではありません。そうした地域の魅力を発掘、開発して、住んでみたいと思ってもらえるような町にしていきたいですね。

及川さん:昨年は新型コロナウイルスの影響で町内のイベントを行うことが出来ませんでしたが、その分地元で頑張っている人や飲食店に目を向ける機会は増えました。町を見つめ直すきっかけにはなりましたね。

仕事をしていると、現在も原発事故のイメージが強く残っているのだなと感じますが、農産物をはじめとして新しい商品や、新しい町のイメージを作り上げていきたいなと思います。

森さん:私は楢葉町と関わっていなかったら、きっと大切なものに気づけないまま別の場所で暮らしていたと思います。それぐらい、楢葉の方を通じて学んできました。

やっぱり人が入り口なんですよね。知り合いがいれば、離れた町でもぐっと距離が近く感じられるじゃないですか。福島と聞いたらパッと誰かの顔が思い浮かぶような、そんな地域になっていたら嬉しいですね。

(2021/1/24取材)