INTERVIEW

インタビュー

福島をもっと知りたい。大学を休学し、福島に移住した理由

鈴木みなみ

出身地:山形県
勤務先:一般社団法人とみおかプラス
勤務期間:2019年〜
年齢:30歳

富岡町のまちづくり会社「とみおかプラス」で働く鈴木みなみさんは町外からの視察事業のアテンドや、移住者のサポートを行っている。また、町民がまちの未来を描くワークショップのコーディネーターも務め、業務内容は肩書きをつけられないほど多岐にわたっている。鈴木さんは、どのように富岡と関わり、町を見つめているのだろうか。

最初は何もできなかった。それでも福島を思い続けた

山形県最上郡に生まれた鈴木さんが福島で働くことになったのは、大学時代に経験した避難所でのある出来事がきっかけになっている。震災当時、山形県米沢市の短期大学で学んでいた鈴木さん。住まいがあった地域は、福島県と隣接しているため避難者を多く受け入れていた。近所に避難所が開設されたと知り、何か力になれないかと足を運んだが、入り口から中へ入ることはできなかったのだという。

「場が混乱しているなかで『自分の言葉や行動ひとつで、このひとたちを傷つけてしまったらどうしよう』と、お手伝いしたいという気持ちを言えないまま、当時は何もすることができませんでした」

山形の短期大学を卒業後、京都の立命館大学への進学を決めた鈴木さんは、結局支援をする決心がつかぬまま東北を離れた。在学中は、被災地支援に積極的だった大学の主催するボランティア活動へ参加。夜行バスを乗りつぎ、岩手や宮城へと通い続けたが、福島へは訪れることができなかった。学生の安全を心配した大学は、原発事故の被災地である浜通りでの活動には慎重だったのだ。

福島のことをもっと知りたい。そんな思いが強くなったころ、大学で出会った仲間とともに復興支援団体「そよ風届け隊」を立ち上げ、いわき市を中心とした仮設住宅での足湯を使った傾聴ボランティアから支援活動をスタート。鈴木さんは大学を一時休学し、ボランティア活動に傾倒していった。復学し、大学の単位を収めたのちに生活の拠点をいわきに移す。いわき市で活動を続けるうちに新たに立ち上がったのが「双葉郡未来会議」だった。

双葉郡未来会議は双葉8町村の住民同士が繋がり、情報や問題を共有し、共に未来を考えるための「寄り合い」。学生ながらも精力的に活動を行っていた鈴木さんに「事務局スタッフとして働いてみないか?」と声がかかった。すぐさま双葉郡未来会議で働くことを決意した。

「出産」を通じてはじめて生活者になれた

大学卒業後は双葉郡未来会議の仕事を続けていた鈴木さんだが、早々に大きな生活の変化が訪れる。長女の出産だ。当時は慣れない土地での子育てに苦戦し、仕事との両立に悩む時期が続いた。しかしその一方で、家族が増えたことで新たに開けた景色もあったのだと、鈴木さんは話す。

「子供が生まれたことでやっと『自分は福島で暮らしているんだ』と実感が持てたんです。学生時代はどうしても『支援者』という心持だったのですが、やっと生活者になれたと感じました。すると、実際に見える景色の中で地域のためにできることがある。こんなものがあったら、もっと暮らしが良くなるんじゃないか。そんな風に考える視点を持てたんです」

子育て関連のサービスやインフラが足りないと感じた鈴木さんは、自らが声を上げ、2017年に子育て応援コミュニティ「cotohana(コトハナ )」を立ち上げた。地域の子育て情報をわかりやすく、集めやすく提供していきたい。そんな思いから、子育てするママとパパに向けた無料情報誌「コトハナ」を創刊。とみおかプラスの業務と並行し、現在も活動を続けている。

データではなく町民の「声」に耳を傾けたまちづくりを

鈴木さんが働く一般社団法人「とみおかプラス」は、富岡の「未来に向けたまちづくり」を主導する民間主体のまちづくり会社。イベントなどを通して、町の新たな魅力を「プラス」する活動を行なっている。鈴木さんが担当する業務は町内外への情報発信と町内の交流促進業務だ。顔の見える関係性の中で富岡にとっての新しい価値を地域の人と見出していきたいと鈴木さんは話す。

「常に地域の人を事業の真ん中に据えて、取り組みを考えていきたいです。ひとりひとりの暮らしが集まって、地域が作られていると思っているので。例えば、富岡町の住民意向調査結果は数値という「データ」として表すことが可能です。でも、それは誰が言っているの? と考えるようにしています。私は仕事をする上で人の顔が見えることを大切にしていたいんです」

鈴木さんが「とみおかプラス」で働き始めたのは会社が立ち上がってから3年目、2019年のことだった。2017年に避難指示が解除され、町としては徐々に生活の機能が回復している時期。とみおかプラスにとっても復興を担う「まちづくり会社」という立場から、新たなステップに進もうとしていた転換期でもあった。

富岡町は震災と原発事故を経験し「いかに暮らしていくのか」を問われた地域なのだと、鈴木さんは続ける。誰とどこで暮らしていくのか。何に幸せや豊かさを感じるのか。この町の人は10年間、そうした問いと向き合いながらこの地で暮らしを営んできた。

「私自身ここで暮らし始めて、幸せに生きるためにはどのような選択をするべきかと考えるようになりました。そんな視点を授けてくれたのは富岡の人たち、彼らと過ごす時間でした。尊敬できるこの町の人々と地域づくりに取り組んでいきたいです」

富岡という町のなかで何を担っていくべきなのか。とみおかプラスのスタッフとして、個人として、鈴木さんは模索する日が続く。そんな鈴木さんの目には町に対する尊敬と思いやりが宿っていた。

(2021/1/25/取材)