INTERVIEW

インタビュー

生まれ育ち家族と過ごした場所をこの手で元気に。とみおかプラス代表の、町への眼差し

大和田剛さん

出身地:福島県富岡町
勤務先:一般社団法人とみおかプラス
勤務期間:2017年〜
年齢:68歳

東日本大震災と原発事故のため富岡~浪江間で不通となっていたJR常磐線。9年の時を経て、2020年3月14日、 全線再開の日がやってきた。その日、JR富岡駅に訪れた「特急ひたち号」は、多くの住民からの歓迎を受けた。この記念すべき一日を彩るために開通イベントを企画したのが、福島県双葉郡富岡町の復興に向けた官民の活動をつなぐまちづくり会社「一般社団法人とみおかプラス」代表の大和田剛(おおわだ・たけし)さん。避難解除された富岡町に暮らす大和田さんは、どのような気持ちでこの日を迎えたのだろうか? とみおかプラスでの活動、そして、今後富岡町で取り組みたいことについて、話を聞いた。

富岡の「さくら」カラーで彩ったJR常磐線全線開通の記念日

富岡町大田行政区の農家に生まれた大和田剛さんは、高校卒業後に就職のために上京した1年間をのぞき、ずっとこの町で暮らしてきた生粋の富岡っ子だ。そんな彼にとってJR常磐線は、特別な電車である。生家のすぐ近くに線路が通っており、幼少期より景色の一部として常磐線があった。お盆の時期に訪れた親戚を見送る際、富岡駅の売店でお菓子を買ってもらうのが楽しみだった。そんな思い出が、無数に頭の中に浮かび上がる。東日本大震災から9年、ついに常磐線が全線開通し、JR常磐線富岡駅に特急ひたち号が訪れる。その日を盛大に盛り上げたい。そう思うのは、この町に暮らし続けてきた大和田さんにとって自然なことだった。


とみおかプラスは2017年の避難指示解除からこれまで、様々なイベントを企画・運営してきた。常磐線開通のこの日は、関係自治体や住民が常磐線全線再開通を歓迎するイベントを企画していたが、新型コロナウイルスの感染拡大予防のため中止をすることを余儀なくされた。そこで、大和田さんは共に地域づくりに取り組む仲間や双葉郡未来会議(※)と合同で常磐線の開通の際に掲げる横断幕を制作することを決めた。

「この電車には特別な思いがあるので。全面開通の知らせを受けた時はとても心踊る思いがしました。当日に向けて、自分にできることを考えた結果、桜色の横断幕をつくろうと決めたんです。うちは看板屋を営んでますので、こういうものならつくれますからね。当日、路線の近くに立って電車に向けて横断幕を掲げると、運転手の方がこちらに向き直って敬礼をしてくれたんです。感慨深い体験でしたね」

※双葉8町村の住民同士が繋がり地域の情報や問題を共有するための民間レベルの「寄り合い」。東日本大震災後に発足し、地域のツアー企画、フィールドワーク、イベントなどを中心に活動を行っている。

とみおかプラスがプロデュースした、富岡町産米を使用した日本酒「萌」を、富岡町長に紹介する大和田剛さん(写真左)


亡き妻と過ごした富岡町を、よくしていきたい

富岡町は東日本大震災により全町避難を余儀なくされ、一時は15000人いた住民がゼロになるなど、町にとっては厳しい日が続いていた。そんな富岡町でとみおかプラスが生まれたのは避難解除が解除された2017年。地元の商工会、観光協会、建設関係の会社の代表らが集まり、“ふるさと富岡町”を魅力ある町として再生し、発展させ、未来に向けたまちづくりに取り組む民間主体の組織として立ち上がった。当時富岡町観光協会の理事を勤めていた大和田さんがその代表の席につくことが決定。しかし、当時は自分の気持ちにも迷いがあったと振り返る。

「実はその頃に妻を亡くしたんです。代表を引き受けることに迷いもあったのですが、妻と一緒に暮らしたこの町を、もう一度自分の手でよくしていきたいと思い、代表を引き受けました」

町づくりも仕事も、一人ひとりが主役

そうしてとみおかプラスの発足から約3年が経過し、現在は1200人の町民が富岡町に戻ってきた。徐々に町が活気づいてきてはいるが、大和田さんは「これからが本番だ」と自分にいいきかせるように口を開く。

「常磐線が開通し交通の便は良くなりましたが、富岡を魅力的な町にしていかないとただの通過駅になってしまいます。自分たちの本当の力量はこれから試されるのではないかと思います。ここからが正念場です」

町の未来を担う人材を確保、育成していくこと。それこそが町の未来をつくる。「まちづくり」を主に担っているのは役所だが、それはあくまでハード面の話。「ソフト面は町民がつくっていかなければならない」というのが大和田さんの考えの根底にあるという。

「町づくりも仕事も、そこで取り組んでいいる一人ひとりが主役なんです。とみおかプラスも、代表は私が勤めていますが、ここで働く素晴らしいスタッフ一人ひとりの力で団体は成り立っています。とみおかプラスは今年で設立3年目になりました。さらに力をいれて頑張っていきたいと思います」

目指すは「富岡町の所ジョージ?」 趣味でつながる町と人

大和田さんはとみおかプラスの代表としてではなく、個人としても多くの目標がある。その一つは、車好きの人が集える趣味の基地をつくること。所ジョージさんの「世田谷ベース」になぞらえて「太田ベースなんてどうだろう?」と、キラキラした目で夢を語る。実は大和田さんは若い頃より自動車レースに参加するほどの車好き。今もサーキットでのスポーツ走行に時おり参加する現役ドライバーとしての顔も持っているというから驚きだ。「太田ベース」はまだまだ設計段階だが、近隣の車好きが訪れるような場所にしたいのだという。

もう一つは、水彩画の作品制作により精力的に取り組むことだ。40年以上に渡って看板屋を営んでいる大和田さんは、幼少期より絵が書くのが好きだったことがきっかけでこの仕事に興味をもった。「幼少の頃、自分の祖父や母が褒めてくれたのが嬉しくて、ずっと書き続けてきた」そうで、仕事の傍ら制作した作品は町内のホテルの客室や飲食店などに飾られているという。

その他にも、耕作放棄地での蕎麦の栽培などやりたいことがどんどん思い浮かんでいくという大和田さん。取材の席で多趣味ですねと伝えると、その返答からも、富岡町への思いが溢れていた。

「もちろん好きでやっていることではありますが、例えば車好きな人が面白そうだなと来てくれるかもしれない。いろいろな形で富岡町を訪れるきっかけをつくれればという思いもあるんです」

趣味について熱く話す大和田さんのきらきらした眼差しはどこか少年のようでもある。そして、それは町の話をする時も同様だ。その思いが今後の富岡町をどう変えていくのか、ますます注目したい。

(2020/8/7取材)

  • 取材:高橋直貴、宗形悠希
    執筆:高橋直貴
    写真提供:大和田剛
  • 一般社団法人とみおかプラス
    https://tomioka-plus.or.jp/