INTERVIEW

インタビュー

失意のUターンから“今が一番幸せ!”と言える日々へ

佐藤裕也さん

出身地:南相馬市 
勤務先:株式会社東武
勤務地:南相馬市 
勤務期間:2018年~

南相馬市出身の佐藤裕也(さとう・ひろや)さんは高校卒業後上京。美大を卒業した後、東京の大手企業で営業として多忙な日々を送っていた。地元に帰ることなど考えてもいなかったというそんな頃、体調を崩したことで人生は一変する。決して前向きなきっかけのUターンではなかった佐藤さんが、南相馬で新しい人生観を見出すまでのお話を伺った。

挫折感からスタートした南相馬での生活

「正直、負けたと思いました」。南相馬に戻ってきた時の気持ちをこう振り返る佐藤さん。大学卒業後はモバイル関連の営業職に就いた。大手の企業の仕事も数多く任され、周囲からはきらびやかな世界で活躍する順風満帆な人生に映っただろう。実際毎日とても充実していたという。
「そんな時に突然、体を壊しました。お医者さんに言われた病名が『うつ病』と『自律神経失調症』。まさかと思いました。“幸せ!”“楽しい!”が重なりすぎて脳にとってはストレスになっていたみたいです」。

会社を1年間休職したが、体調は良くならず翌年退職。「病気の頃の記憶はほとんどないんです。最後は半ば強引に両親に迎えに来られた感じでした」。こうして2012年、佐藤さんは南相馬にUターンすることになる。冗談を交えながら明るく話す現在の姿とは想像もつかないエピソードに驚かされた。

静かな環境で働くエネルギーを蓄える

「戻ってきてからも親の助けは大きかったです。時間はかかりましたが少しずつ体調も良くなっていって…」。何をするかのあてはなかったが、ゆっくりできる時間と環境が故郷にはあった。

体調が少しずつ良くなってきた頃、社会復帰をするため、まずは自分を変えようとダイエットに励んだという。「自然と働きたいという気持ちになったというか、娯楽もなくて退屈なんで(笑)。ダイエットを突き詰めて、気づいたらスポーツトレーナーの資格を取得していました」。

ちょうどそのタイミングで、市民プールの管理の手伝いをしないかと声がかかり、社会復帰の一歩を踏み出せた。「それでも最初はリハビリのつもりだったんです。1年経ったら東京に戻ろうと思っていました」。

仕事に対する考え方は180度変わった

“もう一度東京へ!”その考えが変わったきっかけを尋ねると、「市民プールの仕事をしている時に(奥さんに)出会っちゃったんですよね」。少し照れた様子で奥様の出会いを教えてくれた佐藤さん。

また、東京に戻らないことを決定づけるエピソードがもう一つある。「久しぶりに東京時代の仕事仲間から連絡があった時に、『南相馬に残るってことは、復興は儲かるのか?』って言われたんです。全然悪気はなかったと思いますが、昔の自分はビジネスのことしか頭にない人間だと思われていたんでしょうね。そういう風には見られたくないし、もうあのころのような感覚にはならないだろうと思いました」。仕事に対する考え方は180度変わった。今が一番幸せだという。

この町で普通に働くことが何よりの復興

佐藤さんの現在の仕事は、スポーツセンターや福祉センター、児童館などの公の施設を民間で管理しながらよりよいサービスを提供することが中心。例えば、市内にある50か所以上の施設の清掃のマネジメントや、市民プールや交流センターの企画運営管理などを行っている。

佐藤さん自身も、作業着姿で現場に赴くことも少なくないという。
「特に用事はなくてもクライアント先にこまめに顔を出すことだって、大事な仕事のひとつですよ。合理的な考えよりも、ちょっとした挨拶や心遣いが仕事にも求められると思います」。

南相馬に移住して働くならどんな人が向いていると思うかを伺うと、こんな答えが返ってきた。「復興のためにと特別なものをこの町に持ってきて役立てたいというよりは、純粋に田舎で働きたい、という人の方が合うんじゃないかな。実際、田舎の割には求人もたくさんありますし(笑)。能力に自信がある人なら、ちゃんと評価してもらえるはずです」。

生まれ育った大切な町だからこそ、特別扱いされたくないという。佐藤さんは最後にこう付け加える。「単純にここで働くことが何よりの復興だと思うんです」。こうした考え方が当たり前になって、南相馬が特別な場所ではなくなったとき、本当の復興ができたと言えるのかもしれない。

(2019/1/16 取材)

  • 取材・執筆:七海賢司
    撮影:古澤麻美