INTERVIEW

インタビュー

若手が集まる場づくりを目指して。「楽しい」がここに居続ける理由

森亮太さん

年齢:28歳 
出身地:岐阜県
勤務先:NPO法人 TATAKIAGE Japan、ヘキレキ舎 
勤務地:いわき市 
勤務期間:2018年~

森亮太(もり・りょうた)さんは、学生時代にいわき市や楢葉町を訪れ、ボランティアを行っていた。大学卒業後に移住し、現在は、NPO法人の仕事、編集の仕事、そして、デザインの仕事と3つを軸にしながら、いわきで働いている。そんなバラエティーに富んだ働き方をするに至った経緯とは?お話を聞いた。

8年間過ごした大学時代

岐阜県出身の森さんは、関西の大学へ進学。その際、ボランティアに関わることになる。

「実は僕、大学に8年間通っていたのですが…東日本大震災が起きたのは2年生の頃ですね。その後、在学中の5年間くらいは、いわき市や楢葉町へボランティアとして通っていて。きっかけは、東日本大震災と新潟県中越地震と阪神淡路大震災の被災地をフィールドワークして学ぶという大学の講義でした」。

大学在学中は、学生団体「そよ風届け隊」を立ち上げ、いわき市に避難中の楢葉町の住民に向けた活動も行っていた。そこでは、足湯をしながら対話を重ねたり、学園祭で福島の郷土料理を提供したりするなどの活動をしていたそう。団体立ち上げの背景には、森さんが通っていた立命館大学の”震災へのアクションの早さ”も関係している。

「当時、僕が通っていた立命館大学はボランティアに対するアクションが早かったんです。震災後すぐにボランティアセンターを立ち上げていたみたいで。阪神淡路大震災でボランティアをやっていた世代の人たちが、教員になっていたことも関係しています。なので、大学自体、ボランティア活動は盛んにやっていたんですよ」。

そういった活動を通して、いわきや楢葉町ではたくさんの出会いがあった。中でも、ワークショップ形式の対話の場から始まったプロジェクト「未来会議」との出会いは、森さんの視点を広げるきっかけとなる。

「楢葉町役場の職員の方が、いわきで活動している『未来会議』の方を紹介していただいて、その出会いも大きかったですね。楢葉町だけではない、浜通りの南の地域-双葉郡で活動している人たちにも出会えたんです。この地域で活動している大人の方を見て、ここは面白い地域なんだなと気づきました」。

卒業後、楢葉町で働いた1年間

大学卒業を目前に、次に目指すのは就職。しかし、「普通の就活をしてもしょうがない」と考えた森さんは、楢葉町で働くことのできる仕事を見つけ、2016年に移住することに。決断に迷いはなかったのだろうか?

「とにかく行ってみないとわからないと思っていましたし、まずは住んで働いてみたかった、という感じですね。なので、決断するわけでもなく、仕事を見つけて『よし、これだ』と(笑)。さっと行きました」

楢葉町に関わりがあったとはいえ、なぜ最終的にこの地を選んだのだろうか。選んだ理由を続けて話す。

「復興ということももちろん大事ですが、ここにいる人が好きだったのかなと思います。ここに行った方が自分の人生は豊かだろうなという感覚はあって」。

楢葉町では宿泊施設の清掃業に従事した。仕事は1年間ほど続けたが、働き方と自身が目指す活動のあり方とが折り合わず、辞職することに。その時の気持ちを森さんは振り返る。

「清掃の仕事は、土日が忙しいこともあって、自由に動けなかったんです。例えば、イベントには行けないこともありますし。この1年間は思うように動けず、もやもやは結構ありましたね」。

「デザイナー宣言」をきっかけに新しいステップへ

楢葉町での仕事と並行して、楢葉町のローカルな情報を届けるフリーペーパー「ならはかわら版」の編集長とデザインを担当していた森さん。フリーペーパーは役場職員の方と話をする中で生まれたものだそうで、編集もデザインも未経験の状態からスタートした。その縁が、現在の働き方につながる大きなきっかけとなる。

「清掃業の仕事を辞める前の2018年の2月くらいに『デザインできるなら、ロゴをつくってよ』と、ならはかわら版を一緒につくっていた、楢葉町役場の松本昌弘さん(まつもとまさひろ)に言われて。松本さんは『ならはCANvas』という施設の立ち上げに関わっていたのですが、そのロゴをつくるときの感触がすごく良くて。いろんな想いが込められた施設だったので、それをひとつの図柄に込めていくことが楽しかったんです。毎日8時-17時で仕事をして、その後にパチパチとパソコンで作っていましたね」。

そんな経験からデザインの面白さに気づいた森さんは、清掃業の仕事を辞め、デザイナーを目指すことに。その時、当時の経緯をまとめ、Facebookに投稿すると思わぬ反響があった。

「まず個人事業主届を税務署に出して、自分の中で勝手に"デザイナーになる”宣言はしたんです(笑)。それで『1年間はいろいろあって、仕事を辞めてデザイナーを目指します』という話をFacebookに投稿したら、たくさんのいいね!がついて。すごく応援してくれたというか。今でも本当に感謝していますね。」。

この投稿をきっかけに現在スタッフとして働くNPO法人「TATAKIAGE Japan」とも出会い、町の活性化を担う人材の育成事業にも携わることに。さらに同時期、いわき市小名浜を拠点とする「ヘキレキ舎」で編集のアシスタントも始めた。

人と人を繋ぐ

TATAKIAGE Japanでは、インターンの受け入れや交流イベントの開催など「人と人を結ぶ」仕事が多い。人が中心となる仕事を続けていく中で、ある気づきがあった。そして、それは自身のやりがいにもなっている。

「もちろん他の地方でもそうだとは思うのですが、ここで働いてみて、やっぱりこの地域には若い人が少ないなと思って。若い人の中でも活発に動ける面白い人が町に来たらいいなと。そういう意味では、インターンの受け入れや交流のハブをつくる仕事は、やりがいを持ってやれています」。

仕事柄、自分が面白いと思える人に出会う瞬間がもっとも楽しいそうだ。以前と比べて顔を合わせる人数が格段に増え、応援したい人も増えた。

「複数の仕事をする中で、例えば、町中で起業する若い人たちに会えるとか、それがすごく面白くて。応援したいと思える人がたくさんできました。去年の1年間がなければ今はないと思うので、もちろんその期間も大事でしたね」。

今後の目標は、新しい仕事をつくること

今後、やってみたいことはあるのだろうか。目標を聞いてみた。

「今後は、場づくりをしたいと思っています。例えば、南相馬市の小高が盛り上がっているので、楢葉町でも同じように盛り上げたい。あとは、若い人を呼ぶ時は先進的な取り組みをしていると呼びやすいんです。なので、そういった場やそもそもの仕事自体をつくりたいということもあります。自分のやることが、仕事づくりにつながっていくのがベストですね」。

「自分の感情に正直になって動いてきた」といままでの自身の経緯を振り返る森さん。少し前までは想像もできなかったような働き方をしている今が一番楽しいそうだ。そして、この楽しむ気持ちこそが、彼にとっていわきや楢葉町で仕事を続ける理由なのだと気づいた。

(2018/12/12取材)