INTERVIEW

インタビュー

まずは暮らしを楽しむことから。たまたまの出会いから「故郷」になった川内村

辺見珠美さん

出身地:東京都 
勤務先:ふたばいんふぉ
勤務期間:2018年~ 
年齢:31歳

双葉郡の現状を広く伝えるため、2018年にオープンした総合インフォメーションセンター「ふたばいんふぉ」。この場所では、写真や映像の展示、物販、不定期に開催されるスタディツアーなどを通じて情報を発信している。そんな「ふたばいんふぉ」で物販商品の仕入れなどを担当しているのが、辺見珠美(へんみ・たまみ)さん。彼女は東京の大学で原子力の研究を行い、卒業後、福島大学での仕事をきっかけに、川内村へIターンした。現在は、いわき市に住みながらふたばいんふぉの他、「川内盛り上げっ課」など様々な活動を行っている。これからは、いわき市からふたたび双葉郡の方へ住まいを移し、より深く川内村に関わっていきたいと話す。川内村での時間を過ごす中で、どのような気持ちの変化があったのか。話を聞いた。

私が好きになった川内村を知って欲しい。「ふたばいんふぉ」との出会い

「大学時代は東京都市大学のエネルギー工学科に在籍していました。様々なエネルギーの中でも原子力に興味を持ったのは、温泉が好きだったから。温泉中に含まれる放射性物質を調べている研究室があったんですよ。それで原子力分野を学ぶコースに進んだんです。動機が不純なんですけど(笑)」

取材の席でそう笑う辺見さんだが、研究を重ねるうちに、卒業後は原子力関係の仕事に就きたいという想いが芽生えていた。震災を機に学生時代からボランティアにも積極的に参加するなど、学外でも熱心に活動を行っていたという。卒業後は、川内村に設置された「うつくしまふくしま未来支援センターいわき・双葉地域支援サテライト」で放射線担当の職員となり、川内村に移り住んだ。

「移住してわかったことは、放射線に対する知識が住民に対して、十分に伝えられていなかったということ。原子力に関わる人が積極的に発信し、一般の方に伝える努力をするべきなんだと感じました。一方、住民の方にとって原発は、生活に密着して存在していたもの。親族や友人の中には原発で働いている人も少なくない。そうした環境で、川内村のみなさんが複雑な感情を抱えられていることを知りました。私が東京で報道を通じて見ていたものとは、まったく違う景色が広がっていました」

福島大学のサテライトスタッフとして働く中で、彼女の気持ちを少しずつ変えていったのが住民の方と接する時間。地元のお祭りに参加したり、山菜採りをしているうちに、川内村の暮らしそのものが好きになっていった。サテライトの任期終了後も、川内村に残り、「川内盛り上げっ課」を立ち上げ、講座の開講やイベントの開催など、積極的に活動していた。そんな折、「ふたばいんふぉ」の代表との出会いをきっかけに、新たな職場で働くことに。

「川内村での暮らしを通じて、興味の対象が原子力から変わってきていました。この村のことをもっと多くの人に知ってもらうための仕事をしたいと思ったんです。出会いにも恵まれ、現在は『ふたばいんふぉ』で物販商品の仕入れを行うスタッフとして働いています。この地域のあまり知られていない名産品や、村で行われているイベント、それらを生み出す人。私が川内を好きになるきっかけとなった『もの』『こと』『人』を、この場所で紹介していきたいと思っています」

「復興」から「暮らし」へ。住民との触れ合いの中で変化した川内村にいる理由

現在は、富岡町の「ふたばいんふぉ」のほか、川内村のカフェ「Cafe Amazon」、楢葉町の居酒屋「食楽処 おらほや」と複数の場所で働いている辺見さんだが、彼女の活動の軸となっているのは、「川内盛り上げっ課」。立ち上げ以来、現在も継続して関わりつづけている。

「川内村には、村を盛り上げようと活動をされている方がたくさんいますが、彼らの姿や活動が、村の中ではあまり共有されていないのが実情です。そうした方の活動を共有していくためにスタートしたのが、盛り上げっ課です。もともとは復興をテーマにしたNHKの番組収録のためにワークショップを開催したことがきっかけなのですが、一回で終わらせるのはもったいないという思いから定例化したんです」

もともと福島で暮らしたいとか、田舎暮らしをしたいと考えていたわけではなかったという辺見さん。移住当初は、村のためにできることはないかという使命感のようなものを感じていたが、復興が進みつつある今、村での暮らしを楽しむことが大事なのだと感じたという。それからは、自然体で生きることができるようになった。

「活動に共感してくれる人が増える中で、私一人が気張らなくてもいいのかもなと。盛り上げっ課以外の場所でも、町分オルタナギャラリーの中村さんなど、信頼できる移住仲間と知り合えたことも大きかったと思います。復興が進んできたこともあり、川内村としても『暮らし』にフォーカスした活動を行うことが大事なのではないかと考えています」

「たまたま」を楽しめれば、生活はより豊かになる

川内村での暮らしでは、「みんなで集まってご飯食べよう」「うちによっていきなよ」と、仕事でもプライベートでも、知り合い同士で声を掛け合う。そんな人と人の関係性が尊重される人間関係は心地よいものだという。辺見さんは、ナルコレプシーという睡眠障害を抱えており、これまで持病への理解を得ることが難しく、苦労をしたこともあった。しかし、川内村ではそうした個人の抱える事情も、個性だと受け止めてもらえる。

「小さな会社が多いので個人の事情を考えて、融通を聞いてもらえることも多い。従業員のことを親身になって考えてくれるのでありがたいですね。東京などの都心の企業は、どうしても基準に合った人を求めますが、その基準が狭く、そこからはみ出た人は生きにくい。でも川内村では、はみ出た部分も、個性として捉えてくれる感覚があります。『あの人は、ああいうところがあるからね』って」

辺見さんの出身は東京だが、いつしか心の故郷は川内村に。この地域により深く関わりたいという思いが強くなった辺見さんは、結婚を機に移り住んだいわきから、ふたたび双葉郡の地域に引っ越す予定だ。

「移住を考えている人に伝えられることがあるとすれば、まずは地域の暮らしを楽しんでいる方々に接して欲しいということですね。私自身がそうだったように、一緒にこの村での生活を知っていくことで、この場所での暮らしがもっと豊かになっていくはずです。そして、その『たまたま』の出会いを大事にしてほしい。私にとっては仕事で『たまたま』訪れた川内村でしたが、その出会いを大事にしてきたからこそ、故郷だと思えるぐらいこの村のことが好きになりました。これからも、ゆっくり自分に合うものを探していこうと考えています」

(2019/12/9取材)