INTERVIEW
インタビュー
ブラジル赴任で感じた、土地と働き方の関係性。今、富岡町で働く意味を考える
鈴木彰さん
富岡町役場の生涯学習係で働く鈴木彰(すずき・あきら)さん。大学卒業後は、国際協力機構JICAにてブラジルへ赴任。富岡町に来る前までは、岩手県陸前高田市の市役所の被災者支援室に勤めていた。そんな鈴木さんが、現在の仕事を選んだ経緯とは?
JICA時代から続く関心
大学時代は、仙台で暮らし、もともと東北地方に縁があったという鈴木さん。大学卒業後は、国際協力機構JICAでブラジルへ赴任。異国の地で3年間を過ごした。その時の経験は、ある関心を持つきっかけとなる。
「アフリカを中心に世界にはまだ貧しい国があって、そういうところのお役に立ちたいなという気持ちはもともとあったのですが、ブラジルに赴任して外から日本を見てみると、日本国内でも必要とされていることってあるよな、と思って。例えば、都市と農村の格差であったりだとか。そういった国内の地域間の格差に関心を持ちました」。
加えて学生時代から思い入れのある地域だったということもあり、働くならいずれは東北に、という思いを持つことになる。その後、JICAを辞め、東京で働いた後、東北で働くことのできる仕事を探し始める。結果的に岩手県の陸前高田で働くことになるが、それはまったくの偶然だったという。
「東北で働くということを考えるなら、当然、自分がいた宮城県の仙台から考えるのが筋じゃないですか。もちろん宮城県の仕事の募集は見つけていたんです。東北地方全般に関心があったので、福島の仕事も。ただ、一度、話を聞いてから応募をしたいと思っていたんです。それで、福島の場合は説明会が偶然、台風かなにかで中止になってしまって。ちょうど岩手県の説明会を受けられたんです。その結果、今回はひとまず岩手県に懸けてみようと思いました」。
そして、2014年から岩手県陸前高田市の市役所で働くことに。市役所では、被災者支援室にて被災者の住宅のサポートを担当。さらに、被災者の心のケアやコミュニティづくりを外部の団体と協力して行い、その運営などを担っていた。
支援を一度きりにしてはいけない
陸前高田での仕事を選んだ理由は、震災直後の出来事も関係している。
「震災直後は『物見遊山で行ってはいけない』という心のブレーキがかかってしまって何もできていなかったんですね。ただ、何かやった方がいいという気持ちは、すごく悶々とありました。そんな時、2011年の12月に宮城県の名取市にご縁があって、ボランティアとして一度行ったことがありまして。それをきっかけに『これを一度きりにしてはいけないな』という気持ちになったんです。もっと長く関わらなければいけないな、と」。
ボランティアを通じて自分の向き不向きもわかった。
「復興支援っていろいろなやり方があると思うのですが、私はどちらかというと気が利かない人間でボランティア的な仕事はあまり向いていなくて(笑)。一方で、市役所の仕事はわりと自分に向いているんだろうなということに自己分析をしてみて気がつきました」。
被災地で働いた経験を活かす
偶然、働くことになった陸前高田だったが、その経験を別の場所でも活かしたいと考えるようになった。
「陸前高田は、津波による被災がもっとも大きかった被災地のひとつと言っていいと思うんです。その土地での経験はできたので、今度は、別の被災地で経験を活かしてみたいと思いました。ただ、まったく違う仕事は難しいと思ったので、自治体の仕事であれば活かせるなと。そんな経緯もあり、富岡町役場の任期付職員に応募したんです」。
富岡町役場では、生涯学習係として施設の管理やイベントの企画を担っている。
「ここは文化交流センターとして、複合型の施設になっているので、ホールや会議室の貸し出しの受付や窓口をしています。あとは、自主事業として、年2回ホールを使ってイベントをやっていて、私は1年目なので、そういった業務の補助をしています。2018年は、お笑いライブをやり、いっこく堂さんや綾小路きみまろさんが来てくれましたね」。
その土地に住むために働く
「もうひとつ大事なことがあって」と鈴木さんは富岡町で働く理由を付け加える。
「今の富岡町は特にそうなのですが、ここに住んでいること自体も復興支援になると思っています。住んで、働いて、消費をしてという経済活動に携わること、そして、それができる状態こそが復興だとも思うんです。なので、言ってしまえば、ここに住みたいがために仕事をしている節もありますね(笑)」。
働くことはもちろん、住むこともまた地域への貢献となる。ならば、住むために働くという選択肢もありなのではないか、と鈴木さんは続ける。その背景には、日本を出て異なる価値観に触れたことも影響していたそうだ。
「深く関わってきたブラジルは、移住する人をたくさん引き受けてきた国でもあって。そこで『ここに住みたいから来た』という人をたくさん見たせいもあるかもしれません。一方で、日本では働くがゆえにそこに住むということが主なイメージとしてあると思います。でも、それだけじゃない選択肢があってもいいんじゃないかなと」。
最後に、JICA時代から現在まで、複数の場所で暮らし、働いた自身の生き方を鈴木さんは振り返る。
「もしかすると、一般的には僕は成功者じゃないかもしれません。でも、自分自身はこういう生き方もありなんじゃないかと思っています」。
(2018/12/11取材)
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取材:石川ひろみ
執筆:酒井瑛作
撮影:小林茂太