INTERVIEW
インタビュー
124年の歴史を持つ浪江町の老舗企業。9年ぶりに事業を再開した柴栄水産の挑戦
柴強
1897年、浪江町で創業された柴栄水産。124年の歴史を持つ同社は、市場では「いちます」の名で親しまれる水産業者だ。品質の良い浪江の魚を取り扱い、水産物の仲卸業のほか、直営店舗、和食レストランなど多角的な経営に乗り出していた。しかし、2011年の東日本大震災により運営していた全ての店舗は甚大な被害を受け、休業を余儀なくされた。
そんな柴栄水産が、2020年4月、9年ぶりに事業を再開。地元のお客さんや取引のあった企業からは「待ってました」と言わんばかりに、温かく迎えられた。新たな一歩を踏み出した柴栄水産の専務取締役である柴強(しば・つよし)さんに、事業再開までの道のり、再開後の様子について話を伺った。
9年ぶりの事業再開。不安が渦巻くなか、人生をかけた再出発
浪江町で100年以上の歴史を持つ老舗仲卸企業の柴栄水産。同社が震災後、中断された事業を再開しようと準備を始めたのは2016年のことだった。
柴栄水産の事業再開に先立って、浪江町の請戸漁港が再開するという話は進んでいた。同時に、競りを行う施設(水産加工団地)を新たにつくろうという計画も進行中だった。しかし、魚を水揚げする漁港と競りを行うための施設が整ったとしても、そこで商売をする業者がいないと市場は成り立たない。
当然、仲卸業を行う柴栄水産には関係者から「早く再開してほしい」という声が寄せられた。だが、すぐに再開というわけにはいかなかった。
仲卸業者にとって大事なことは、漁師がどのような漁をしてもそれを受け入れる体制(施設)をつくることだ。例えば、魚の中には生きたまま流通させないと値がつかないものもあれば、加工しないと値がつかないものもある。多様な卸先を持ち、どのような魚でも一手に引き受けることができる。それが柴栄水産の強みであり、それによって漁師との信頼関係が成り立っていた。
しかし、柴栄水産は震災によって浪江町の事務所、商品の加工場、魚を販売する店舗三軒、レストラン、これら全てを失ってしまった。施設がなければ漁師から魚を買うことも出来ない。そのため、事業再開にあたって必要な体制を一から整えるのには数年を要した。
本当に継続していくことが出来るのか。また以前のように商売をすることができるのか。そうした不安の中での再開だったという。しかし、それでも前に進まなければならない。強い信念を持って会社を率いたのが、柴栄水産の代表取締役、柴孝一さんだった。息子であり、同社の専務を務める柴強さんは当時をこう振り返る。
「事業再開後のことを計算していくと不安にもなるし、悩むこともありました。ただ、うちは社長がすごく前向きでね。苦しい状況でも一切弱音も吐かず、前に進んでいこうと決めたんです。
それに、市場を再開するためにはどこかの会社がやらなきゃいけないんです。それなら自分達が、という思いはありました。それに、東日本大震災や原発事故を理由に、何もやらずにあきらめると後悔する。自分たちの代でのれんを下ろすわけにはいかないですから、人生の全てをかけて再出発しようと決意しました」
水揚げ高は半減。「自由に漁に出れる日が待ち遠しい」
そして2020年4月、満を持して柴栄水産は事業を再開。取引先からは「いちますさん(柴栄水産の市場での通り名)の魚は昔と変わらない」と評判だったという。しかし、魚の品質に変わりはないものの、市場全体としての課題があった。震災前と比べて魚の水揚げ高が半分ほどに落ち込んだのだ。
というのも、漁場が試験操業の為、漁が制限されているのだ。震災前は一隻あたり週6日の漁が許可されていたのに対し、現在は月に8日しか漁に出ることができない。加えて、一日90隻ほどが出ていた船は、4月の再開当時は25隻ほどしか漁を行っていない。漁港の水揚げ量が下がれば、柴栄水産の取扱高も下がる。こうした状況に対し、早く自由に魚が流通する日が待ち遠しいと柴さんはこぼす。
「事業の再開を決めた時、地元の魚をメインに扱おうと決めたんです。請戸漁港で取れる魚が一番品質がいいですし、地元のブランドを広めていきたいと思ってましたから。元々は2020年には原発事故以前のように漁ができるという見込みだったのですが、まだ時間がかかりそうですね。
若い時に、築地市場で修業をしていたんですよ。その当時から常磐もの(福島県で水揚げされた魚)が一番いいと思ってたんです。その考えは今も変わりません。魚さえ獲れるようになれば、販路はもっと大きくできる。早くうちの魚の美味しさを多くの人に知ってほしいですね。」
「会社の次は、町を立て直したい」事業再開後に芽生えた思い
事業再開から約1年が経とうとしている。苦しい状況が続く中ではあるが、水揚げ量の低下を除けば概ね事業は好調だという。再開に向けて採用活動を行なった際には、これまでにないほどの応募があった。それも、高齢化が業界全体の問題となっている中にあって、20代、30代からの応募が多かったのだという。新たに入社した従業員の大半は30代。20歳の方もいた。
「採用に関しては、順調すぎて当時は不安なほどでした。でも、いまは役員も従業員もパートも区別なく家族のような感じで働いています。新しいスタッフは会社を良くしたいという想いを持って働いてくれていて、身が引き締まりますね」
再開後、多くの人から連絡があった。「避難先ではどこで魚を買えばいいのかわからなかったが、柴栄水産が戻ってきてくれたおかげで、浪江町の魚が食べられるようになった。」そんなお客さんの言葉が柴さんの背中を押す。事業の中断を経験し、柴さんは浪江という町、そこで暮らす人により目が向くようになったという。町の漁業を、そして町を立て直す。それが今後の目標だ。
「若い人たちの力を借りながら、浪江町をもっとアピールできるようなことを会社を通じてやっていけないかと考えているんです。震災以降、県外から福島に移住して復興事業に取り組んでくれた人が沢山いた。私が思ってたよりもずっと沢山いました。それならば、地元出身の自分はもっと頑張らないといけないですから」
(2021/1/23取材)
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取材:高橋直貴、宗形悠希
執筆:高橋直貴 -
有限会社 柴栄水産
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