INTERVIEW

インタビュー

浪江町を食で元気づける。和食料理人の決断

黒坂千潮さん

年齢:41歳 
出身地:浪江町
勤務先:海鮮和食処 くろさか 
勤務地:浪江町 
勤務期間:2016年10月~

2016年10月にオープンした浪江町の仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」。この一角に軒を連ねる「海鮮和食処 くろさか」を営むのは地元浪江町出身の黒坂千潮(くろさか・ちしお)さんだ。東京や埼玉で和食店を経営していた黒坂さんに、生まれ育った浪江町に戻るまでの経緯や、故郷への思いについてお話を聞いた。

自分のお店を辞め、故郷へ

高校卒業後、料理人を目指しながら東京で修業を積んだ黒坂さん。30歳の頃には念願だった自分のお店も持つことができた。「震災が起きたのはそれから1年後のことでした。浪江町は全町民が避難を余儀なくされ、故郷にいた両親を関東に呼びました。でも、両親にはその生活は合わなかったようです」。

黒坂さん自身も多忙のため体調を崩し、2015年にはお店を閉めることに。その後埼玉に場所を移し、新たにお店を開業し、心機一転を図った。その環境の変化の中でも、故郷への思いが常にあったという。

1年半後、両親から浪江町に仮設商店街ができることを聞いた。「当時、町には飲食店がほとんどありませんでした。あったといえばコンビニくらいで、作業員の方や地元の方が不便さを感じていると聞きました」。

とはいえ自分のお店を閉めて帰ってもうまくいく保証はない。3ヶ月悩んだ結果、黒坂さんの決断は地元に帰ることだった。「ここで動かないと何もできない。いつかは地元で…という想いもあったので、覚悟を決めて戻ってきました」。故郷への思いが黒坂さんの背中を押した。

浪江町の温かさを再認識

「生まれ育ったまちとはいえ、高校を卒業してからずっと関東で暮らしていたので、こっちに知り合いはほとんどいませんでした」。

地元とのつながりがない中、浪江町での暮らしは始まる。「幸い、震災の前年に実家を改装したばかりだったので、家は大丈夫でしたし、調理器具などは前のお店で使っていたものがありました。ただ、はじめは人手の確保に苦労しました」。

結局オープン当初は両親と3人でお店をスタートすることに。どれくらいの人が来てくれるのか不安だったが、蓋を開けてみれば連日大盛況!目が回るほどの忙しさだったという。

「浪江の人たちは本当に温かいんですよね。どんどん新しい出会いが生まれていくんです」。

大事なのは一歩踏み出す決断力

オープンから2年余り。飲食店の数も徐々に増えてきたが、浪江町の復興はまだまだ途上段階だ。

今後、移住を考えている人に向けてのアドバイスを伺った。
「町のためにという強い気持ちがあれば一歩踏み出すだけ。僕もあの時戻る決断ができなければ、今でも埼玉にいたかもしれません。家族の存在や仕事の問題など、難しさはあるでしょうが、今は町の支援体制も整ってきています。移住する方法は一つではないと思います」。
実際に大きな決断を下した黒坂さんの言葉だけに、重みが伝わってくる。

浪江町で美味しい海鮮丼を食べられる幸せ

最後に今後の目標を伺った。

「この商店街はあくまで仮設の商店街。自分の店舗を持って、くろさかの名前をどんどん広めていきたいですね」。

取材前に食べたお店名物の海鮮丼は、ネタが新鮮で本当に美味しかった。海の町浪江で美味しい海鮮丼を食べられること、ほんの3年前には町に戻ることすらできなかったことを考えると、こうした当たり前のことが、復興へ向けての大きな前進にも感じる。決して口数が多くはないものの、決断力と実行力のある黒坂さん。これからも浪江町を美味しい海鮮で元気づけてくれることだろう。

(2019/2/5取材)

  • 取材・執筆:七海賢司
    撮影:舟田憲一
  • 海鮮和食処 くろさか
    〒979-1513
    福島県双葉郡浪江町幾世橋六反田7-2