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STORY|菜の花で地域のなりわい復活へ。チェルノブイリから福島へと続く挑戦

菜種油づくりを通して農地再生モデルをつくることを目指す「南相馬農地再生協議会」。団体のルーツである「チェルノブイリ救援・中部」は、原発事故被災者への支援活動を25年以上続けてきた。チェルノブイルから福島へと現在まで続く、支援活動の中で培ってきた学び、そして、これからの展望を神野英樹(じんの・ひでき)さんに聞いた。

一般社団法人南相馬農地再生協議会は、菜の花から採れる菜種油を加工し、商品化して販売。放射能の被害から農業を再生するモデルをつくることを目指している。今回、2018年に完成したという搾油所を訪れると、神野英樹(じんの・ひでき)さんが、その活動をお話してくれた。

活動のルーツは、1986年にチェルノブイリで起こった原子力発電所事故にまでさかのぼる。何か支援はできないか。そんな思いから1990年にチェルノブイリ救援・中部が発足。チェルノブイリへの支援を続ける中、福島で地震と津波による原発事故が発生した。

「チェルノブイリの支援は、25年くらいずっと続けてきたんです。日本で事故が起きたのは、ひととおり現地への支援を終え、これからはカードを贈るなどの交流は続けて、心の支援をしようという段階にシフトしかけた時でした。福島で原発事故が発生し、原発の危険性を訴え続けてきた僕たちは大ショックを受けたのですが、そういう現実がある以上、同じ放射能の被災地である福島も支援しようと…。僕たちには、チェルノブイリを支援してきたという経験とノウハウがある。それを活かしたいと思ったんです」。

「チェルノブイリの支援で学んだことが3つあります」と話す神野さん。放射能被害から安全・安心・安定した生活を取り戻すためには、外部被曝を防ぐこと、内部被曝を防ぐこと、そして、いままで地域で営まれていたなりわいを復活させること。現在、農地再生協議会では、3つめの「仕事をつくる/復活させる」を活動の主軸としている。

放射線被害のある地域でどのように農業を復活させるか。その試行錯誤はチェルノブイリでも行われ「菜の花プロジェクト」として結実することになる。でも、なぜ菜の花だったのだろうか?

「現地のチェルノブイリで何をつくれるのだろうと、仲間たちでいろいろと調べていました。ただ、仮に収穫できても売れなければ話にならないですよね。なので、土から早く放射能を吸い上げ浄化してくれて、なおかつ、放射能の影響を受けにくいものを探していたんです。その結果、それが菜の花だということがわかって」。

菜の花は、菜種から油が採れる。そして、土の中にあるセシウムやストロンチウムといった放射性物質は水溶性であり、水と油が混ざり合わないという原理のために、菜の花に吸い上げられても油には絶対に移行しない。その結果、放射能ゼロの菜種油が生まれるという仕組みだ。

「なので、これを福島でもやってみようよ、と。農家の方たちも、これからどうしようかと途方に暮れていた時期だったので『風評被害に負けない作物があるんだ!』という一筋の希望の光が見えた…と仰っていましたね。それから、地元に相馬農業高校があって、その生徒さんたちもぜひやりたいということになって、一緒に菜種油の商品をつくることにしました」。

地元の高校生とともに協働し、まずはじめに生まれたのが「油菜ちゃん」(写真左)。菜種油を商品化するにあたって、高校生たちは商品名やパッケージのキャラクターを考案した。その後、さらに商品のバリエーションは広がっていく。

「高校では部活動のような形でやっているので、高校生たちの代がどんどんと変わっていくんです。そうすると、次第にアイデアも広がっていって『油であればドレッシングができる』、『それから、マヨネーズも』と菜種油の他にも商品が生まれていきました」。

団体の活動を始めた当初、菜の花畑は1、2ヘクタールの規模で始まったが、現在は100ヘクタールにまで広がっている。「ちょうどディズニーランドとディズニーシーを合わせた大きさですね」とその規模の大きさを神野さんは説明する。耕作地は、息子たちが避難したまま帰らないため人手が足りず、収穫するための土を維持することが難しい農家の方たちから託される形で、借り受けているそうだ。

今後は、どのように「菜の花プロジェクト」を進めていくのだろうか。神野さんに聞いてみると「夢は大きいです」とその展望を教えてくれた。

「今は、風評被害に負けない農産品をいかにつくっていくか、ということですね。菜の花だけでは生活は成り立たないんです。だから、『二年間に三作』を目指して、お米だったり、大豆だったりを計画的につくる必要があります。そうして『ゼロからの復活』を実証したいと思ってるんです」。

菜の花プロジェクトには、挑戦すべき次のステップがある。

「油を搾って、商品として販売することはできました。でも、油を搾った後の汚染されている残り滓は、肥料や飼料として売ることができがないので畑に戻しているんです。もちろん数値は低いですし、土壌の汚染もむしろ下がるのですが、これをやっぱり活用したいんですよ。なので、チェルノブイリの頃から考えていたのは、再生可能なエネルギーを生み出すバイオガスプラントですね。土の中に埋めたタンクに、菜種の搾り滓や牛糞などを入れ、そこにメタン発酵菌を入れて、管理するとメタンガスが出て、これがエネルギーになります。そういう仕組みをつくって、地域の農業のサイクルをつくっていきたいですね」。

チェルノブイリから福島まで支援を続けてきた人たちがいた。そして、そんな彼らが取り組む、「地域に根差した循環型社会をつくる」という大きな挑戦は、これからきっと農業に関わる人だけではなく、多くの人にとっても希望となっていくはずだ。

(2018/12/12取材)

  • 取材:石川ひろみ
    執筆:酒井瑛作
    撮影:小林茂太
  • 一般社団法人農地再生協議会(事務所)
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