INTERVIEW

インタビュー

人口300人の村で幸せに暮らす方法がある。100年先を見据えた村づくり。

下枝浩徳さん

年齢:33歳 
出身地:葛尾村
勤務先:一般社団法人葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ) 
勤務地:葛尾村 
勤務期間:2012年~

数百人単位の過疎の地域で、人々が幸せに暮らしていける仕組みを考え、そのための人材育成に取り組んでいる葛力創造舎。代表理事を務める下枝浩徳(したえだ・ひろのり)さんは、葛尾村で生まれ育ったUターン組。故郷の復興に携わる中で見えてきた、これからの地域コミュニティの在り方について、お話を聞いた。

地域づくりを模索し、様々な活動に参加

東京の大学で地盤工学を学び、井戸掘削の仕事で海外でも活躍していた下枝さん。そうした生活の中でも故郷への思いは常に持ち続けていたという。 「実は震災の前から葛尾村に戻ることは決めていたんです。お金を出せば何でも揃う東京での暮らしが創造的じゃないと感じていて…。地元に帰れば何か面白いことを好きにやれるんじゃないかと思っていました」。

そう考え、福島県内に転職を決めた矢先に、震災が起きた。葛尾村は全村が避難指示(※)地域に指定された。村の状況を受けて、下枝さんは故郷のために何かできないかを模索し、運送業や国会議員の私設秘書の仕事に就き、復興に関わるNPO活動にも積極的に参加した。地域づくりに役立つスキルや、様々な人脈はこの時培ったという。

葛力創造舎を立ち上げる

葛力創造舎を立ち上げたのは2012年のこと。このままでは将来、葛尾村に戻ることができても過疎が進んで村がなくなってしまうという危機感からだった。「当時の葛尾村は全村に避難指示(※)が続いていた時期。村には何が必要とされていて、どうすれば自分が村の役に立てるのかが全く見えない状況でした。この頃が一番大変だったかもしれません」。同じ志を持つ仲間たちとネットワークを築き、村のために何をすべきかを見定めながら、帰村後の準備を進めていったという。

2016年、葛尾村の避難指示が解除される。下枝さんの地域づくりが本格的に始まった。
葛力創造舎の活動は農業体験のコンテンツ化や、その体験を通した交流人口の拡大、村の特産物を使った6次化商品の開発、そして県内外への葛尾ブランドの発信や販売など多岐に渡る。また、それに携わる人材育成やコミュニティの形成にも力を入れている。

村の幸せにつながるかを一番に考える

ただ、当初は下枝さんたちの活動に難色を示す村の人も少なくなかったという。
「せっかく村に戻って来られたのに、今までの生活を壊されるのではないかと思われたかもしれません。田舎の人たちから信頼してもらうには、どれだけ一緒に時間を過ごすかが大事なんではないかと考えました。人から何かを手伝ってもらったら、自分も同じように恩を返す。よく田舎に来たらタダで野菜をもらえる、なんて思っている人もいますがそれは大きな間違いです」。村の方との関係を大切に育んできた下枝さん。取材中も、近くを通った村の方が次々に下枝さんに話しかけていたほど、今では村の有名人だ。

村の人たちからの協力を得るために、下枝さんがぶれずに守ってきているのが、葛尾村の幸せにつながるかどうか。「葛尾ブランドの商品を開発・発信する際にも、大量生産の売り上げ至上主義のやり方ではなく、村が継続的に発展できるようなブランドづくりをしていきたいです」。村の人も買う人も喜んでもらえるようないい関係性を築くため、慎重にブラッシュアップを続けている。

これからの葛尾村はどうなる?

「正直、今はまだ葛尾村に移住しようとする人を受け入れる体制が整っていない部分があります。でも、村の中にネットワークを作ってこれならやれるぞ!というビジョンも見えてきました。空き家を運用できる免許も取得できました。これから徐々に人は増えてくると期待しています!」。

下枝さんは葛尾村の地域づくりに確かな手ごたえを感じている。「本当の目的は仕事ではなく文化をつくること。形は変わっていたとしても100年後の村の人の暮らしに繋がっていれば最高にハッピーです」。

過疎地域の葛尾村だからこそ、下枝さんのように村に寄り添った地域づくりが大切なのではないだろうか。これからの葛尾村がどう変わっていくのか、本当に楽しみだ。

※東京電力福島第一原子力発電所事故に伴い、国が避難を指示した。同原発から半径20㎞圏内と、圏外で放射線量が高い区域が設定され、立入りなどが制限された。

(2019/1/15 取材)

  • 取材・執筆:七海賢司
    撮影:古澤麻美
  • 一般社団法人葛力創造舎
    詳細ページ: http://katsuryoku-s.com/