INTERVIEW
インタビュー
パワフルな社長との出会いで移住を決意。カメラマンから警備員へ
河合伸さん
広告業界でカメラマンとして30年仕事をしてきた河合伸さん。なぜ50歳で東京から福島に移住を決意したのだろうか。仕事や住まいの不安を払拭してくれた情に厚い社長との出会いから、大切にしている仕事のスタンスまでお話を聞いた。
東京で広告カメラマン一筋30年
「子どもの頃は父の仕事の関係で、福島県内を転々としていました。出身は浪江町としていますが、実際に住んだのは4年くらい。高校卒業後は上京して、写真を勉強しました。最初は撮影スタジオでアシスタントをして、そのあと会社でカメラマンを経験してから独立してフリーのカメラマンになりました。人物はもちろん、宝石から飛行機まで商業写真はなんでも撮りましたね。50歳までの30年間、広告業界でカメラマン一筋でした」。
変化を求めている時期に起きた震災
仕事やプライベートでちょうど人生の分岐点という時に東日本大震災が起きた。
「時代も変わってカメラマンの仕事が減ってきていました。子どもたちも手を離れていたので、今後カメラマンを続けていくかどうか考えていて。そんな時に震災がありました。当時はすでに両親は他界していて、福島に行くのは年に1、2度程度でしたが、自分の故郷が大きな被害を受けた。報道で聞いていても実際の状況はよくわからず、地元に対してもやもやした気持ちを抱えて2年が過ぎました。そのうち、福島で働いてみようかと考えるようになっていました」。
社長の手厚いフォローのおかげで移住を決意
福島県内で仕事を探し始めたところ、コスモさくら警備保障の求人を見つけた河合さん。しかし警備の仕事がどんなものかはまったく知らなかったという。そんななか連絡をすると、すぐに社長と会うことが決まった。
「私の情報をまだ何も知らないのに、社長が『いいから一度来なさい』と言うんです(笑)。しかも『住むところもなんとかしてあげるから』と。本当に家も身の回りのものも全部用意していただいて、すんなり生活を移すことができました。社長のおかげで不安になる暇がなかった(笑)。とにかくパワフルな人で、その対応力と気遣いにいつも驚かされます。私の入社以降も、社長は地方からの移住組を手厚く受け入れています。一人ひとりそれぞれのケアを考えて面倒をみているんですよ。社長にとってはきっと社員じゃなくて、みんな家族なんだと思います」。
仕事のスタンスはずっと変わらない
50歳を過ぎての新しい仕事への挑戦。不安などなかったのだろうか?
「警備の仕事は未経験でしたが、不安はなかったです。仕事って内容は違っても、向き合うスタンスは変わらないと思うんです。30年一人でやってきたという自信はあったので、ただやるだけだと思っていました。研修制度も整っていましたし、今は交通誘導警備業務検定と施設警備業務検定2級を取らせていただいたので、複雑な場所を担当させてもらっています。やるべき仕事を自分が納得いくレベルで、毎日きっちりこなしていく。それで信用してもらって、仕事を任せてもらう。これはカメラマン時代から変わらない私の仕事のスタンスです。考えないで漠然とやる仕事は好きじゃないので、自分なりにこのスタンスを大切に毎日を送っています」。
30年間、会社に属さず東京でフリーのカメラマンとして仕事をしてきた。30年も仕事が絶えなかったのは、大切にされてきた仕事のスタンスの成果だろう。そしてその自信は、良い出会いがあった時に躊躇なく新しい人生に飛び込んでいける、大きな支えになっている。
(2018/9/10取材)
-
取材・執筆:石川ひろみ
撮影:出川光 -
株式会社コスモさくら警備保障
住所
〒979-1171 福島県双葉郡富岡町大字大菅字川田199番地の3
※震災のため現在は本社機能を広野営業所に移しております。
詳細ページ:https://jp.stanby.com/ats/kosumosakura/jobs