INTERVIEW

インタビュー

挫折して逃げてきたからこそ分かった「自分自身を肯定する」方法。

関孝男さん

出身地:埼玉県
勤務先:いわなの郷
勤務期間:2014年~ 
年齢:44歳

自然豊かな川内村の山あいにある観光施設「いわなの郷(さと)」。そこで働くのが、関孝男(せき・たかお)さんだ。埼玉県で教師として働いていたが、ある出来事をきっかけに、2014年に川内村へと移住してきた。その後、川内村に根付く「炭焼き」を知ったことで、関さんの身に大きな変化が訪れたという。「自分を変えたかった」と移住の動機を話す関さんの移住後の心境や暮らしの変化を聞いた。

大きな挫折からたどりついた川内村

川内村の緑豊かな山々の間を流れる楢生川(ならぶがわ)。その川沿いをのぼった先に、川内村の観光名所、いわなの郷はある。山間の開かれた土地に、コテージ、いわな釣りが体験できる釣り堀、レストラン「幻魚亭」などが並んでいる。いわなの郷を訪れると、薪割りをしていた関孝男さんが出迎えてくれた。関さんは、2014年に川内村に移住して紆余曲折を経て、いわなの郷で働いている。

「イベントの準備で薪割りをしていたのですが、これがなかなか難しくて。でも、都会から来る人にとって薪割りの体験は楽しいみたいなんですよ」

そう笑う関さん自身も、数年前までは首都圏で働いていたという。埼玉で教師として勤めていたが、辞職し、仕事のあてもないままにIターンで川内村へやってきた。なぜこの場所へやってくることになったのだろうか?

「小学校の教員をやっていたのですが、大きな挫折を経験してしまったんですよね。その後は地元で働いてはいたものの、生きている心地がしなくて。逃げてきたんです。福島のために何かしたいという思いももちろんありましたが、川内村に来た一番の理由は、自分を変えたかったからなんですね」

川内村の存在は、仕事で大きな挫折を経験していた2013年にたまたま求人で紹介されて福島県を訪れことがきっかけで知ったという。それから観光協会(川内村商工会)に相談し、すぐに移住を決めた。

生き方を変えることになった炭焼きは、直感で

「自分を変えたい」と移住してきた関さんにとって、大きなターニングポイントとなったのが、川内村の伝統文化「炭焼き」との出会い。当時、川内村では炭焼きを生業としている人はいなかったが、のちに関さんが「師匠」と呼ぶ、炭焼き師・菅波勇己さんの門を叩き、直談判した。その動機はほとんど直感に近いものだったと、あっけらかんと笑う。

「正直なところ、こちらに来るまで炭焼きのことも知りませんでした。炭焼きが有名だったと知って『これだ!』と。勢いにまかせて師匠に頼み込んだんです」

誰かのために、取り繕わなくてもいい

関さんは、炭焼きを通じて師匠と対話する時間が、何より楽しかったと移住直後の生活を振り返る。対話を重ねる中で、生きるための知恵を学び、少しずつ自分を肯定できるようになっていったのだという。

「師匠は、あるものをまるごと受け入れるような、器の大きい人。彼は仕事を断らないんですよ。頼まれたことを断るのは簡単ですが、それをしない。この人は、こうやって村の中で信頼関係をつくってきたんだなと。彼から学んだのは、まさに村で生きていく姿勢ですね」

過去の負い目から、他人の目を気にしながら過ごしていた時期もあったが、師匠の背中を見て、自分自身の心も徐々にオープンになっていった。

「村の人は気を遣わずに思ったことをどんどん口に出すんです。だから僕も、取り繕っていてもしょうがない。過去がどうだとか、人からどう思われているかとか、気にする必要はない。そう思うと、心が楽になりました。これまでは、自分を他人に理解してもらおうとしていたところがありました。でもそれは傲慢で、まずは自分から他人の考えを受け入れなきゃいけないんですよね」

これから自分が川内村でやるべきことって何だろう?

移住してから5年が経った今、過去の自分から大きな変化を遂げた関さん。当初から抱いていた、いつか復興のために何かをしたい、という思いは今も変わらない。そして「川内村で暮らす自分が、これからやるべきことは何か?」そう自問自答し、たどり着いた答えは、自分のような移住者にとっての居場所を作りたい、ということだった。

「村への基本的な支援は、すでに足りている状況だったんですね。そこで僕がやるべきだと考えたのは、この村にもっと移住者を増やすこと。そしてそのためには、移住を考えている人と村人との交流が生まれるようなコミュニティをつくる必要があります」

その中心となるのが、いわなの郷だと関さんは続ける。夏が繁忙期となっているいわなの郷に、オフシーズンでも足を運んでもらえるよう積極的にイベントの企画を行っているという。

「夏はキャンプや渓流釣り、冬は干物づくりや極寒キャンプも。年間を通じてイベントを積極的に行って、この場所に訪れる人を増やしたいですね。川内村は、自然豊かで本当に魅力的な土地。僕自身、今後もいわなの郷で生きていきたいなと考えてます。その中で、僕が師匠と出会ったように、人と人をつなぐ場作りをしていきたいですね」

今やるべきことを、自分のペースで

いわなの郷の仕事のかたわら、炭焼きの活動にも取り組んでいたが、今は一旦休止するつもりだと、取材の最後に関さんは話してくれた。長いスパンで自らのこれからを捉えた時、必要になればまたいつでも再開できる、今はいわなの郷での仕事に集中するべきだと思っての決断だという。そう話す関さんの顔つきは、この場所にしっかりと根を下ろした「川内村の人」だった。

「こんなことを言うのもおかしいですが、挫折して良かったとすら思います。僕の経験から言えるのは、今いる場所で苦しみながら生きていて、別の場所に逃げることになったとしても、立ち直るきっかけは自分でつくらなければいけないということ。もし自分を変えるきっかけを探しているという人がいたら、ぜひいわなの郷に遊びに来てみてくださいね」

(2019/12/9取材)