INTERVIEW

インタビュー

未経験の農業に飛び込み、マネージャーの経験を生かす

成川凌さん

年齢:49歳 
出身地:神奈川県
勤務先:南相馬復興アグリ株式会社 
勤務地:南相馬市原町区  
勤務期間:2013年~

東京や神奈川で長らく生活してきた成川凌(なりかわ・りょう)さん。以前はコールセンターのマネージャーとして勤務。その後、40代から未経験の農業の道へ進むことを決め、地域農業の再生を目指し、トマト菜園を運営する南相馬復興アグリ株式会社に入社した。そこにはどんな経緯があったのだろうか。お話を聞いた。

40代から新たな道へ

東京や神奈川のコールセンターに長らく勤務していた成川さん。仕事をしながら家族の介護をしていた時期があった。

「20代の後半からコールセンターでマネージャー職を担当しておりまして、幸いなことに、27、8歳からスタッフのリーダーなどを担当してきました。40歳になる前あたりには仕事をしつつ、母の介護を。仕事でもいろいろなことが重なったこともあったので、定年を迎える前に退職し、介護をしながら母の最期を看とりました」。

その後しばらくして、新たなことに挑戦したいと思うようになったそうだが、農業に関わるきっかけは何だったのだろうか。

「漠然と農業っていいなと思いまして。それに母を見送ってからは、家族という部分で縛られることもなかったので、一から新しいことをやってみたいと考えたんです」。

未経験から農業を目指す

それから茨城県にある農業の社会人学校へ通うことに。半年間かけて農業の基礎を学んだ。

「実家が農家というわけでもなかったですし、学校に行く前までは、農業をまったく知らない状態でした。学校は半年コースだったので、その間は茨城に部屋を借りながら農業学校に通って、お米やトマト、ニンジンなど、広く基本的なことを学びました」。

学校では、農業を仕事にするための就農者向けのセミナーや説明会を紹介された。イベントに足を運ぶと全国各地から企業が出展しており、そのうちのひとつが、現在働く南相馬復興アグリだった。ここを選んだ決め手は、何だったのだろうか?

「働くなら東京や神奈川で、というような場所のこだわりは特になかったんです。やっぱり自分にとって一番大きかったのは、南相馬復興アグリが新規事業だったということですね。その時はまだトマトのハウスの外枠をつくっているくらいの時期でした。自分がそもそも農業の知識が少ないという部分もあったので、学びながらゼロから始められるというのもいいかなと」

成川さんは、この出会いをきっかけに入社前の面接ではじめて福島に。最初に南相馬復興アグリのトマト菜園を見た時の印象は?

「『大きいな!』と思いました。自分が持っていた農業のイメージと違って工場のような規模の菜園で驚きました。こんな規模を見て、やってみたいという気持ちが強くなり『まずは一からやってみたい』と面接でお話しました」。

そして、2013年11月、福島へ移住してきた成川さん。最初は研修からスタートした。

「入ってすぐは技術支援を受けているカゴメさんの『いわき小名浜菜園』に2、3週間ほど研修へ行きました。入社のタイミングは、菜園がスタートする1ヶ月前だったので、しばらくしてどんどんとスタッフさんが入ってきて、最終的には50人ほどが集まりました」。

マネージャーの経験が生きる場面も

菜園スタート後、最初に担当したのは「栽培」というトマトを育てる役割で、そのスタッフをまとめる仕事だった。大変だったことは?と聞くと、「僕にとっては言い出すとキリがないかもしれません(笑)」と、農業未経験ゆえの試行錯誤を振り返る。しかし、自らの経験が生きる場面もあった。

「当時、菜園の立ち上げに携わったメンバーは4人だったのですが、そのうち2人はかなりの農業経験がある方。その方と比べてとにかく知識がない点は大変でした。ただ、逆に自分が経験として持っていたのは、マネージャーとしてアルバイトさんやパートのスタッフさんをまとめること。これに関してはかなりやってきましたので、前職の経験がかなり生きたこともありましたね」。

現在は、役割が変わり、トマトを収穫してから製品にするまでの工程を管理する「収穫選果」のマネージャーに。トマトの出来を見極める仕事だ。

「スタッフに『この色のトマトを収穫してください』と指示を出したり、何トン収穫できるかを予測したり、収穫したものを選別したり。クライアントさんの要望に合わせて、トマトの質や出荷を管理するという仕事ですね」。

スタッフが働きやすい環境をつくる

「収穫選果」の仕事について3年目が経とうとしている今、徐々に仕事にも慣れ、現在はコツをつかんできたという。トマトならではの難しさとやりがいを、成川さんはマネージャーの視点から語る。

「トマトを収穫したら、その日中か翌日には出荷しなければならないという決まりがありまして、当初は収穫できる量やかかる時間の予測が正確にできない部分もあり、苦労しました。夏の暑いハウスの中でずっと作業をしていたスタッフさんたちに対して、トマトを出荷しきれないという責任は非常に重いですし、やりがいでもありますね。最近は、なんとなく感覚がつかめてきて、収穫から出荷までの予測の組み立てがようやくイメージできるようになってきたんです。スタッフさんにも無理をお願いすることが減ってきましたしね」。

最後に成川さんの目標を聞いてみると、遠慮がちながらも、地域への視点と併せて答えてくれた。

「そんなに大それた目標ってことでもないのですが…ここでは年配のスタッフさんもたくさん働かれているので、まずはスタッフさんが働き続けられるよう、この場所を維持していくことが目標ですね。そういう場所は、東京でもそうかもしれませんが、特にこのあたりでは限られている部分もあるので、私の想いとしては『ここは絶対に潰せないな』と感じています。マネージャーということもありますし、これからもスタッフさんが働きやすい場所をつくって、笑い合いながら仕事をしていきたいですね…ちょっとかっこつけすぎかな(笑)」。

農業というまったく未知の仕事を始めた成川さんは、菜園の仕事を支える存在となっている。前職での経験がひとつの武器になるのだということを教えてくれた。

(2018/12/12取材)

  • 取材・執筆:石川ひろみ
    撮影:小林茂太