INTERVIEW

インタビュー

「自分のため」が「地域のため」に。川内村で見つけた医療と地域の繋がり

鍋島悠子さん

出身地:長崎県
勤務先:川内村国民健康保険診療所
勤務期間:2017年~
年齢:38歳

相双地域の川内村国保診療所で所長を務める鍋島悠子(なべしま・ゆうこ)さんは、村内唯一の医療機関「川内村国民健康保険診療所」の所長として、2017年4月に赴任。2012年4月より、東京都から長崎大学の大学院へ。その後、2016年4月より福島県へ移り、福島県立医科大学にて助教を経て、2017年に川内村へやってきた。彼女は「被災地域へ復興のために移住した医師」としてメディアでも取り上げられることもあったという。しかし、話を伺うと「あくまで自分のため」に移住を決めたのだという。彼女はどんな思いで川内村にやってきたのだろうか?そして、赴任してからの3年間、彼女はどのように暮らし、働き、川内村の地域医療を支えてきたのか。話を伺った。

私は「私のために」移住を決めた

「震災後にも住んでいる人はいるの?」「住みにくい場所じゃないの?」。川内村に移住をしてきてから、鍋島さんは何度もこういった質問を受けたという。県外の人にとって、福島県の相双地域にある川内村はまだまだ「被災地」という印象が強かったのかもしれない。

しかし、2019年12月現在、川内村住人の帰村率は80パーセント以上を超えている。これは近隣の市町村と比較しても高い数値だ。日常は取り戻されてきている。診療所から川内村の方々の生活を見続けてきた鍋島さんは、そう肌身に感じていた。

「患者さんが診療の合間に、グランドゴルフで優勝したんだよって報告をしてくれたりするんですよ。もちろんまだ復興の途中ではあるけれど、村には日常が戻ってきていると感じます。川内村だからといって特別なことはありません。いい意味で、普通の診療所なんです」

鍋島さんは2017年、川内村国保診療所に赴任しないかという打診を知り合いを通じて受け、移住を決めた。ではなぜ、鍋島さんは川内村に移住しようと思ったのだろうか?その理由は、やりたい仕事を実現できる場所だったからだ。患者の普段の生活までを含めて治療の方針を考える「地域医療」に鍋島さんはもともと関心を寄せていた。

「この場所を知って、私のキャリアに必要だと感じてすぐ手を挙げました。なにより単純に面白そうだと思ったんですよ。川内村にやってきたことで、被災地の村に貢献するために赴任したと思われることも少なくないのですが、そうではありません。私はあくまで自分のために移住を決めたんです」

医者にできることはほんの少しだけ。大事なのは、地域が連携すること

鍋島さんはこれまでに様々な医療の現場を経験してきたが、中でも、地域医療にも力を入れていた河北総合病院(東京都)での研修時、在宅医療の現場に立つことがあった。その現場経験が、地域医療に深く関わるきっかけとなり、キャリアの選択にも大きな影響を与えた。

「外来に来る患者さんの家に伺うと、病院での神妙な面持ちとは打って変わって、みなさん生き生きとした表情で暮らしてるんですよね。ああ、患者さんにとっては病院がすべてではないんだなと、そこで実感しました。あくまで、生活あっての医療。病院で治療を行うだけでなく、生活を含めて、患者さんのためを思う医者でありたいと思いました」

そうした思いを抱いた鍋島さんにとって、川内村は彼女の目指す働き方が実現できる場所だった。診療所には介護・福祉施設が併設されていることもあり、診療所だけではなく、村ぐるみで医療のあり方を考えることができるという。実際、川内村国保診療所に赴任してからは、これまでとは業務の内容が大きく変わったそうだ。

「医療を行うだけではなく、介護や福祉と連携し、村民の健康を守ることが川内村国民健康保険診療所の役割。医師にできることはほんの少しなんですよ。患者や家族の生活や思いにも気をくばりながら、診療所以外の家族や地域、福祉とつながっていくことが必要です。例えば、患者さんの暮らしを知ることで薬の処方の仕方も変わる。認知症の予防も私だけではできません。地域で連携して、村のために体制をつくっていくことを意識していました」

移住をきっかけに変わった「働き方」と「仕事に求めるもの」

移住には、生活面、仕事面ともに、様々な困難が付きまとう。新たな土地に移り住み、新しい仕事に就き、一から人間関係を築き上げなければならない。こうした大きな変化に対して、不安はなかったのだろうか。

「事前に福島医大の医師ともコミュニケーションをとっていたので不安はありませんでしたね。医師が地方に赴任する際は、一人で抱え込んでしまい孤立してしまうといったケースもありますが、近隣の病院と協力体制があることもわかっていたので、安心感はありました。それに、看護師さんのように元々川内村で働いている方々がとても頼もしくて。私がわからないところをサポートしてくださったり、とても助けられています」

こうした環境の変化があって、鍋島さんの働き方も大きく変わっていったという。これまで在籍した病院では、オフの時間を持つことも難しいほどに働きづめの毎日だった。しかし、周囲のサポートもあって、川内村ではしっかりと休みを取りながら働くことができていると話す。

「私自身がボロボロになるまで働いていては駄目なんですよね。私が倒れたら地域に迷惑がかかってしまいますから。都心の病院で働く生活も充実していましたが、ここの診療所では安心感が一番大事。そのためには自分に余裕がなければいけませんから。私が仕事に求めるものも、求められるものも、環境と共に変わったんです。

ただ、医師としてこれまで培った技術や経験を活かしていきたいという思いは持ち続けています。なので、現在は月に2度はいわき労災病院の血液内科で診療を行っています。地方の診療所に在籍しながら自分の専門性を活かすことができているのは本当にありがたいことです」

「自分のため」は「誰かのため」

川内村の地域医療を支えてきた鍋島さんだが、2020年の2月に産休に入ることをきっかけに、この村を離れることが決まっている。今後は旦那さんが住んでいる東京へ移り、専門にとらわれず広く地域住民の健康を担当する家庭医療に力を入れた都内の病院でより深く知識や技術を身につけていく予定だ。

「この3年間で介護、福祉との間で風通しを良くしていくことはできました。さらに村全体に協力体制を広げていくことができればと思っていましたが、それは私の後任の方と村が協力しながらうまくやってくれるだろうと思います。私は川内村に来て、自然豊かな福島が大好きになりました。この春、東京に戻りますが、経験を積んで将来はまた川内村に戻ってきたいですね」

自分のキャリアのために川内村に移住を決めた鍋島さんだが、取材中、彼女の口からは「地域のため」「村のため」という言葉が何度も発せられたのが印象的だ。

「自分のため」の先に「誰かのため」になる仕事がある。どちらかを犠牲にするものではなく、それらは両立することが出来るのだと、鍋島さんは教えてくれた。

(2019/12/9取材)