INTERVIEW
インタビュー
小高で「みんなが挑戦できる」まちづくりを
森山貴士さん
コーヒーを淹れる姿が印象的な森山貴士(もりやま・たかし)さんは、東京でソフトウェアメーカーに勤めた後、南相馬へ移住してきた。現在は、一般社団法人オムスビを立ち上げ、「人材育成」と「地域の課題解決」に取り組んでいる。その背景には、東京で感じた「教育」への問題意識があったという。同団体のプロジェクトのひとつであるカフェ「Odaka Micro Stand Bar」でお話を聞いた。
急成長する会社にいる中で感じた疑問
大阪出身の森山さんが、大学卒業後に入社したのは、東京のソフトウェアメーカー。都内でも指折りのIT企業だ。入社後は、製品開発部門に配属され、いわゆるITエンジニアとして、ソフトウェア開発や機能のテスト業務にあたっていた。その後、5年間務めることになるが、入社時と比べて大きな変化があったという。そして、その変化は森山さんにとってある問題意識を抱くきっかけとなる。
「僕が入った時には1000人くらいの会社だったのですが、5年経って辞める時には5000人くらいの会社になっていたんです。すごいスピードと規模で人が増えていきました。当然、後輩がたくさん入ってくるのですが、教育の手が足りていなかったんですね。その結果、できる子とできない子がはっきりと分かれていく。でも、それっていままでの勉強の差ではなくて、なにかしら社会課題に取り組んだ経験があるかどうか、というところに左右される部分がかなりあると思うんです」。
学校で教えられることと会社で求められること。その間には、大きな隔たりがあるのではないか。教育の場において、社会とつながる機会は、意外と少ないのかもしれない。そんな思いを抱き、結果的に会社を辞めることに。当時を振り返りながら森山さんはこう語る。
「大学に入ってから出てくるまで、社会でどう役立つかということはまったく教えられないのに、会社に入ったらいきなり社会の役に立てと言われて『できないお前は能力がない』と言われるのはちょっと理不尽だなというか。仮に自分がそう言われる立場だった時のことを考えたら、ぞっとした気持ちになって。それで、もっと早い段階、いち社会人になる前の段階で、社会課題を解決することに取り組むことで、それが自分の自己実現だったり、やりたいことをやったり、ということをみんなができる環境を作ろうよ、と思ったのが辞めるきっかけでした」。
「おいしいご飯が食べたい」から東北へ
森山さんと南相馬の縁は、宮城県・石巻から始まる。しかも、東北地方へ行こうと思ったきっかけは”たまたま”だった。
「会社を辞めた後は、起業するかとか、どこかのスタートアップ企業に入るかとか、いろいろ考えていたのですが、とりあえずおいしいご飯を食べたいと思って(笑)。ご飯を食べるのが好きだったので。であれば、いろんな地方に行ってみようと思ったんです。その時、ちょうどこれから東北に行くという友達がたまたまいたので、一緒について行かせてくれ、と。それが、石巻だったんです」。
石巻では、短期間でアプリなどの開発を競うイベントであるハッカソンに参加した。その時、その場に居合わせたのが、南相馬でITビジネスを立ち上げた人たち。彼らと交流する中で、自分のやりたいことと南相馬で解決すべき課題は繋がるかもしれないと気づいた。
「彼らは、ITに関わる新しい人材を育てていくことで、地域に新しい産業基盤をつくりたいと言っている人たちで。それは自分のやりたいことにリンクするかもしれない、と。『人を育てる』ということ、それをもって『地域の課題を解決していく』というところは、すごくチャレンジしがいがあると思いました」。
さらに、尊敬する人の誘いに背中を押され、まずは定期的に南相馬へ通うことに。
「ハッカソンの懇親会で、僕の尊敬する先輩方のさらに先輩というようなすごい方がそこにいて。そしたら、酔っ払ったせいもあるのか、勢いのまま『森山くん、行っちゃいなよ』と南相馬行きをすすめられて。神の言葉だ…と思ってすぐに『行きます!』と(笑)。それから、まずは様子を見てみようかなと思って通い始めました」。
南相馬へ移住してからは、試行錯誤の日々
東京と南相馬を往復する中、当時、交流を続けていた相手から「仕事があるから来てくれ」と呼ばれ、ついに南相馬へ移住することになる。しかし、移住直後にある問題に直面することに…。
「移住した1週間後に『ごめん、仕事の話はナシになった』と。そういうイベントが発生することになるんです(笑)。ヤバい!となったのですが…」。
困り果てていた森山さんを助けてくれたのは、周囲の南相馬で活動する人たちだった。それから森山さんの試行錯誤の日々が始まる。
「周りの人たちが仕事を渡してくれるようになって、最初は5000円のチラシ作成みたいなところから始まりました。他には『5万くらいしかないんだけど、うちのホームページつくってくれない?』とか。僕自身『ここまで来たら引き下がれない』と思って(笑)。そういうところから、とりあえずやっていこうと」。
大学時代、ITベンチャーのインターンを通して独学でデザインを学んだ経験があったという森山さんは、その後、半年ほど着々と仕事をこなし、収支を安定させながら、自身の目標である「人材育成」に取り組み始める。そして、個人事業主として働く中、2017年に「一般社団法人オムスビ(以下、オムスビ)」を立ち上げ、本格的に「地域課題の解決」に向けた活動を始めることになる。
若者と小高の関係性
オムスビの活動の軸にあるのは「教育」だ。あるプロジェクトでは、地元の高校でプログラミングの授業を行ったり、別のプロジェクトでは地域の学生団体のサポートを行ったり、とその内容は様々。森山さんが、高校生たちをはじめとする学生に注目するのは、彼が活動する南相馬市小高区の特徴とも関係している。
「今、小高区に帰還している人は、約2割 (2018年12月当時)ほどで、人口は、だいたい3000人くらいなんです。一見ネガティブな数値に思われるかもしれませんが、一方で、小高区の高校の生徒数は500人もいるんですよ。割合としてはすごいんです。この子たちを、まちの資産として考えていく以外に選択肢はあるのだろうか?と思うんです」。
そんな高校生たち、あるいは、地域の中で何かやりたい、盛り上げたいと考える若者たちをサポートし、ゆくゆくは地域の課題を解決する人材を小高から輩出すること。それがオムスビのミッションだ。今回の取材場所であり、オムスビのプロジェクトのひとつであるカフェ「Odaka Micro Stand Bar」もまた課題解決を通じたまちづくりの面白さを発信し、活動に取り組む人たちのコミュニティ拠点となる機能を果たしている。
小高でみんなが「やりたいことをやれる」環境を
小高で課題解決に取り組むことについて、森山さんはRPGゲームに例えてこう説明する。
「イメージ的には、やっとレベル5くらいになったところでいきなりラスボスが出てきた!というような状態なんです。仲間もいないし、能力も武器も防具も揃っていないのに、難しい問題に立ち向かわないといけない」。
しかし、同時に可能性もある。移住前に勤めていた会社で受け取った言葉を引き合いに、この地域ならではの”できること”を見出している。
「前の会社の社長に『誰も解決したことのない難しい問題にチャレンジしろ』と言われて。それはどういうことかというと、まだ誰もできないから、失敗しても恥ずかしくない、ということですね(笑)。その結果『誰もできないうちに失敗してものすごい知見を貯めていけ』と。まさにこの地域はそれができると思うんですよね」。
森山さんにとって、小高とは「やりたいことができる場所」。だからこそ、自身がそうであるように、オムスビの活動を通じてここ小高でも誰もが挑戦することができるまちづくりを目指している。最後に、教育に携わる彼らしい言葉で、小高の若者たちへ向けた想いを話してくれた。
「どんなに小さなことだとしても『自分でもできるじゃん!』と思えることや、『周りの人に助けを求めることも必要なんだな』と気づいてもらえたら、将来強力なプレイヤーになれるかもしれない。そうすることで、幸せな生活を送ることのできる人が、一人でもこのまちに増えるといいんじゃないかな」。
(2018/12/10取材)
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取材:石川ひろみ
執筆:酒井瑛作
撮影:小林茂太 -
一般社団法人オムスビ
詳細ページ:https://www.オムスビ.com