INTERVIEW
インタビュー
楽しいか、幸せかで判断すればいい。ゼロになった町からこの国一番のワクワクを!
高橋大就さん
福島県浜通りに位置する浪江町。
東日本大震災による津波で多くのものが流され、原発事故によってすべての住民が町を離れなければならなかった町です。
2017年、町内全域に出されていた避難指示は「帰還困難区域」を除く場所で解除されましたが、約21,000人いた人口は現在1,700人ほど。震災前の人口と比べてわずか8%という数字です。
そんな浪江町へ2021年4月に移住したのが元外交官の経歴を持つ高橋大就さん。
「ゼロになった町からこの国一番のワクワクを」を掲げ、地域の方と共に町再生に挑む高橋さんに、その挑戦への想いを伺いました。
人生を決めた2度の衝撃
高校2年生の夏、高橋さんの人生に1度目の衝撃が走ります。
それは、北朝鮮がミサイル実験のためノドンを発射、日本海へ落下するという出来事。翌朝の新聞を見ると、ミサイルの射程距離は日本をすっぽりと収めていました。
「ミサイルで原子力発電所が爆発でもしたら、日本は終わってしまう…!」
このことを機に日本の安全保障に強い関心を持つようになった高橋さんは、猛勉強の末、外務省へ入省。外交官として日米安全保障問題や日米通商問題など9年間取り組んできました。
しかし、社会課題を解決していくには自分自身がプレイヤーになる必要性を感じ、民間企業へ転職。関心のあった農業プロジェクトに携わるなど、相変わらず忙しい日々を送っていました。
2011年3月11日、東京のオフィスで仕事をしていたときに2度目の衝撃が走ります。
翌朝テレビから流れる惨状と福島原子力発電所の爆発の様子に、高橋さんは「恐れていたことが起きてしまった…」と愕然とするのでした。
居ても立っても居られず仕事を休職し、すぐに現地で緊急支援物資の調整など東北の支援活動を行います。
震災から3ヶ月後には「東の食に、日本のチカラを。東の食を、日本のチカラに。」をスローガンに掲げた「東の食の会」を有志で設立。事務局代表を務め、東北の食の復興のために生産者たちと一緒に農業・漁業を盛り上げてきました。
バリケードで囲まれた町へ
震災から10年、東北地方を回りながら食産業復興の活動をしてきた高橋さんですが、ずっと心に引っかかっていたことがあったと言います。
それは、避難指示がかかった福島12市町村で活動を行なってこられなかったことでした。
「浜通りを縦断する国号6号線を車で通るたび、バリケードで囲まれた誰もいない町を横目に通り過ぎる自分に無力さを感じていました。一番向き合わなければいけない課題から逃げていないか?ここに向き合わず、東北に対して何かやった面をしているのは違うんじゃないか?」自分に何度も問いかけたと言います。
福島で起きたことは、決して福島の問題ではない。この国全体の問題であり、それはつまり自分の責任でもある。
「農業も漁業もないゼロになった場所で町再生の力になるためには、東京を拠点に出張ベースではできない」と考えた高橋さんは、浪江町への移住を決意するのでした。
町の人たちと一緒にチャレンジしたい
高橋さんが浪江町に移住を決めた理由は、もうひとつあります。
きっかけは2018年、「一般社団法人 まちづくりなみえ」の菅野孝明さんが企画したフィールドワークに参加したことでした。
「当時は避難解除されて1年と少しという頃でしたが、浪江に住む人たちは皆さん前向きで、チャレンジ精神に溢れ、楽しみながらさまざまなアイディアを実行していました。そんな姿を見て、この人たちと一緒にこの場所でチャレンジしたいと思ったんです」
移住して8ヶ月が経ちますが、浪江町での生活は不便を感じないどころか充実していると言います。
「人生で朝をどう過ごすかってめちゃくちゃ重要じゃないですか。こっちでは満員電車に押し込められる毎日がありません。車を走らせれば、どこまでも広い空が広がっているんです。それに人が少ないって言うけど、東京で星の数ほどいる人とすれ違いながら生活するより、自分の足で立つと覚悟を決めた1,700人の人たちと関わって生きる方が圧倒的に楽しいんですよ」
星降る農園でワクワクをつくる!
2021年11月には、東の食の会プロデュースによる「なみえ星降る農園」が開園。
地域の農業者と東北のヒーロー生産者、住民、東北の食のファンが一緒になってさまざまな農作物を実験的に栽培していくコミュニティ実験農場がスタートしました。
「名産品となる可能性のある作物を探求しながら、この農園でワクワクを生み出すのが一番の目的です。住民も観光客もみんなが関わりを持って楽しいことを続けているうちに、風評なんていつか丸ごとなくなっている日が来ますよ!」
なみえ星降る農園の特徴はもうひとつ。土づくりのため肥料として「ヒトデ」を撒くことです。
ヒトデは「サポニン」という物質を体内に蓄えていて、これが土壌改良になるうえ、農作物を荒らすイノシシ対策に有効とされているのだそう。漁師にとって厄介者とされるヒトデを畑で活用して、環境に良いこと、新しいことにもどんどん挑戦しています。
さらに、今までつながりを育んできた東北を代表するヒーロー農家たちが農園をバックアップ。ここで新規就農者が育つことで、次なる「スター」が生まれることも期待されます。
現在畑には、「ジュニパーベリー」というジンの香りづけとなる苗木が植えられています。
「これがうまくいけば町の名産品になるかもしれません!」と無邪気に笑う高橋さんの姿に、ワクワクと胸が高まりました。浪江町から国産クラフトジンが生まれる日も、そう遠くない未来に訪れるかもしれません。
この町が楽しくなることが、この国を変えること。
高橋さんが浪江町で目指すカタチは、東京一極集中の変換。「ルールや形式に囚われた中央集権型社会から、ヒトを大事にする実質的な自律分散型社会へ変えていきたい」と話します。
「ピラミッドの一番上に国がある中央集権型の構造の歪みが、福島でこの悲劇を生んだんだと思うんです。だから、ここから変えるんです」
「今、浪江町にいる人たちは国を頼らず、俺たちがやるんだ!って人ばかりです。それが最高だし、気持ちがいいし、あるべき姿だと思うんですよ。“エゴマ投げ世界大会”とか言って、自分たちで勝手に実行しちゃうんですから!形式なんて全部取っ払ってシンプルに、楽しいか、幸せかで判断していけばいいんです。地域の人が自分の足で立つって強いんですよ。だから、まずはこの町の人と一緒に浪江を取り戻していきたい。そして、この国一番のワクワクを創っていきます」
住民も産業もゼロになり絶望を経験した町が今、町の誇りと記憶をつないで一人ひとりが自分らしく輝く町へと生まれ変わっています。
きっと未来は、もっと楽しくなるはず。浪江の澄んだ青空を眺めながら、そんな希望を感じずにはいられませんでした。
2021年12月取材
-
取材・執筆:奥村サヤ
撮影:中村幸稚