INTERVIEW
インタビュー
相馬市の復興のために。新事業に挑戦し続ける「サンエイ海苔」の歩み
福島県相馬市は、浜通り地区の北部に位置し、夏は涼しく冬は暖かい暮らしやすい町です。漁業が盛んなこの町は、国の重要無形民俗文化財である「相馬野馬追」や日本百景にも数えられる「松川浦」があり、仙台市や福島市にアクセスしやすいという特徴があります。
そんな相馬市で創業50年以上続く「株式会社サンエイ海苔」は、東日本大震災による津波や原発事故による風評被害など大きな影響を受けながらも歩みを止めることなく、海苔を主軸にシラスの加工やホテル経営など新たな事業を積極的に展開してきました。
そこには、どのような経緯や想いがあったのでしょう。代表取締役立谷一郎氏の次男であり管理部の立谷浩二さんとグループ会社のホテルサンエイマネージャーの吉田智賀子さんにお話を伺いました。
株式会社 サンエイ海苔
韓国海苔を日本に広げたパイオニア
1947年創業の「株式会社サンエイ海苔」は海苔の加工業のほか、グループ会社でホテルや居酒屋
の経営など幅広い事業を行って地域の発展に貢献してきました。
「もともとは曽祖母が行商をしていたことがはじまりなんですが、東北地方を行商するなかで一
番よく売れたのが“海苔”だったそうなんです。それから海苔に着目して加工を行うようになりまし
た。1973年に祖父たち兄弟3人が、力を合わせて栄えていこうと『サンエイ海苔』を設立しました
」
サンエイ海苔の主力製品のひとつは「韓国海苔」。日本でもスーパーに並び日常的に食べられて
いますが、実は日本で初めて事業として本格的に韓国海苔を販売したのがサンエイ海苔なのです
。
そのはじまりは1993年。浩二さんの父が韓国へ出張に行った際に、おみやげに韓国海苔を買って
きたことがきっかけでした。
「僕がまだ小学生のころだったのですが、おいしくて夢中で食べたのを覚えています。父に『こ
れは会社に持っていくから食べちゃダメだぞ』と言われていた分まで、全部食べちゃったんです
よね。そこで父は『子どもがこれだけ夢中になって食べるんだから、誰が食べてもおいしいはず
だ!』とひらめいたそうです」
それからサンエイ海苔は本格的に韓国から原料を輸入し、日本人の好みに合うように加工を開始
しました。日韓ワールドカップの開催や韓流ブームもあり、一時は日本で韓国海苔の8割をシェア
するほどだったといいます。
相馬の食文化を残すために「しらす」加工をスタート
安定的に海苔の加工製造をしてきたサンエイ海苔でしたが、2011年に起きた東日本大震災で状況
は一変。震度6弱の揺れを観測した相馬市には高さ9メートルの津波が押し寄せました。海のそば
にあった倉庫は流され、工場は津波の被害はなかったものの、地盤沈下で床が傾いたことで機械
を稼働させることが不可能となってしまいました。
震災にともなって発生した原発事故による風評被害も深刻でした。加工した海苔は放射線検査で
は基準値を大きく下回り、安全が確認されても福島で加工しているという理由で売れないという
状況が続きました。経営に大打撃を受けたサンエイ海苔でしたが、決して地域のために歩みを止
めることはありませんでした。
漁業が盛んな相馬市ですが、漁は操業停止となり、復興の一歩として試験操業が開始されても多
くの魚種に出荷制限がかけられました。漁ができない影響で加工業も廃業が相次ぎ、立谷社長は
「陸の加工業が再起しなければ、相馬の漁業が消滅してしまいかねない」と危機感を抱きます。
そこで、相馬港の水揚げの大きな割合を占めるシラス・コウナゴの加工に乗り出しました。
「もちろん、今まで海苔加工以外の経験はありません。けれど、常に地域のためにと考えている
父なので、相馬の復興の大きな一歩になると使命感を持って新事業にチャレンジしたんです」と
浩二さん。
鮮度が命のシラス・コウナゴの加工品の製造ラインは、全国の工場を回って研究を重ねたそうで
す。2014年春、尾浜工場で稼働を開始。傷みやすいシラス・コウナゴの劣化を抑えるために、釜茹
でから箱詰めまで生産ラインを一本化し、風味を限りなく保った加工を実現しました。
「もともと相馬でシラス・コウナゴの加工をしていた方にもスタッフに加わっていただき、手探
りながらもようやく商品として出しても恥ずかしくないものができました。当時は採算が取れる
かかもわからずにスタートしましたが、おかげさまで現在では大手スーパーにも取り扱いいただ
けるようになりました」
海苔の可能性を追求する商品開発
サンエイ海苔では、時代のニーズに合わせた商品開発も積極的に行なっています。海苔のライン
ナップはなんと400種類以上あるとか!なかでも従来の海苔のイメージをくつがえす「海苔でサン
ド」は、道の駅や土産店のほか、雑貨屋でも販売されるほど人気商品となりました。
「『海苔でサンド』は、海苔離れしている若い人たちにも気軽に食べてほしいという想いから、
若手社員で開発した商品なんです。『味のりはベタつくのが嫌だ』という声を受けて、内側のみ
に味付けをした海苔でお米のパフを挟んで焼き上げました。おつまみ感覚で食べられるのがポイ
ントです」
さらにパッケージにもこだわり、海苔のイメージを一新するようなポップなデザインに仕上げま
した。その甲斐もあり、現在はお土産店や雑貨店でも販売されるようになりました。
「おかげさまで福島のお土産にしてくださる方も多く、海苔が持つ可能性はまだまだあると感じ
ています」と力強く話します。
復興のために拡大したホテル事業
サンエイ海苔では、グループ会社としてビジネスホテル経営も行っています。2019年には「ホテ
ルサンエイ南相馬」が国道6号線沿いにオープン。そのほか市内4軒のビジネスホテルを運営して
います。
ホテル事業は震災後に拡大してきました。そこにも地域に貢献するという強い信念があったそう
です。グループ会社・ホテルサンエイのマネージャー吉田智賀子さんに話を伺いました。
「震災後、この地域には復興のために業者さんがたくさん来るようになりました。けれど、宿泊
施設がなく、車で寝泊まりしているということも珍しくなかったんです。地域の復興のために来
てくださっている方たちがゆっくり休めないという状況は避けたいと考え、空き施設を宿泊でき
るように整えてなんとか泊まっていただける状態からはじまりました」
作業員の方たちが安心して寝泊まりできるようになり復興していくとともにフェーズが変わり、
ホテルにはビジネスマンも宿泊するようになっていきました。そんな最中、世の中はコロナ禍に
突入。宿泊産業は大打撃を受けることとなります。ホテルサンエイは市からの要請を受け、ホテ
ルをコロナ患者のための療養施設に提供することになりました。
「これもひとえに、社長の『地域のために貢献する』という強い想いからです。当時は混乱もし
ましたが、地域の皆さまのお役に立つことができて光栄でした。コロナが落ち着き、これからは
観光のフェーズになっていくと思います。相馬には『相馬野馬追』という伝統行事がありますし
、たくさんの方に訪れてもらえるような町に変化していってほしいですね」
チャレンジしたい仲間を募集
サンエイグループでは現在130名のスタッフが働いています。今後は県外からの採用も積極的
に行っていきたいと吉田さんは話します。
「県外の方の採用はWEBを使ったカジュアル面談で当社を知っていただくことからはじめていま
す。不動産業も行っているので、住宅などの環境も整えられます。相馬市や福島12市町村では移
住支援金制度が充実していますし、制度を利用する場合は会社でも申請のサポートをさせていた
だきます」
地域の未来のためにチャレンジ精神を持ち続けてきたサンエイだからこそ、新しい仲間を求めて
います。新しいことに挑戦がしたいという方、地域に根ざした働き方がしたいという方、やりが
いを持って働きたいという方、サンエイ海苔の仲間に加わってみませんか。
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取材日:2024年2月
取材、執筆:奥村サヤ
写真、コーディネート:中村幸稚
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◆株式会社サンエイ海苔◆
https://www.sunei-nori.com/
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