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「帰れる場所はひとつじゃない」川俣町の 日常から、佐原孝兵さんが伝えたいこと

福島駅から車で30分の場所にある川俣(かわまた)町は、江戸時代より絹織物の産地として栄え、四方を里山に囲まれた自然豊かなまちです。

このまちに移住をした佐原孝兵さんは「まちと人をつなぎたい」と、川俣町の日常にある風景を映像作品として発信しています。

東京生まれ、東京育ち。いままで都会での暮らししか知らなかったという佐原さんが、なぜ移住をし、映像作品を撮り続けているのでしょうか。

佐原孝兵さん

映像ディレクター・川俣町地域おこし協力隊

未経験から映像制作会社へ

「帰れる場所はひとつじゃない」

美しいピアノの旋律とともに川俣町の日常が映し出される。どこか懐かしくて、「いつでも帰っておいで」とやさしく語りかけてくれているようだ。

この動画を制作している佐原さんは、東京都出身。高校卒業後、インフラ企業に就職し、5年間サラリーマン生活を送りましたが、「自分の好きなことを仕事にしたい」と映像制作会社に転職をしました。

「昔から音楽が好きで、趣味で音楽活動をはじめたことをきっかけに、やりたいことに真剣に向き合おうと思うようになったんです。とはいえ、プレイヤーとして食べていくことは難しいと感じて、音楽にも関われる映像の世界に飛び込みました」

とは言うものの、当時の佐原さんはカメラに触ったことすらないという未経験者。当然、雇ってくれる会社などなく、転職活動は難航しました。ようやく入れた会社で、ゼロから学び映像スキルを習得していきました。

企業の採用動画やテレビCM、ドラマの制作などに携わるようになり、映像の世界にのめり込んでいった佐原さんは、自分の作品を撮りたいという想いが膨らみはじめます。会社の体制が変わるタイミングもあり、2021年に独立しフリーランスとして活動するようになりました。

ちょうどいい田舎へ移住

1人で撮影から編集までできる環境を探していたところ、偶然見つけたのが川俣町の地域おこし協力隊の募集です。

地域おこし協力隊とは、人口減少や高齢化などが進む地域に移住して、地域ブランド開発やPRなど、地域活性化のための活動をしながら、定住・定着をはかる取り組み。活動内容や条件、待遇は、自治体によってさまざまです。

「地域おこし協力隊の制度も知らなかった」という佐原さんですが、地方での暮らしに憧れもあってすぐに問い合わせをしました。1泊2日の体験ツアーではじめてまちを訪れると、“ちょうどいい田舎”に惹かれたといいます。

「田舎ってコンビニもスーパーも遠く離れた場所にあるイメージを持っていたんです。でも川俣町を訪れてみたら、緑に囲まれた町並みに総合病院やスーパー、コンビニもたくさんあって、アクセスも良い。移住のハードルが高くなくて、ここならやっていけそうだなと思いました」

それから、ドキュメンタリー映像の企画を考えはじめた佐原さん。2022年4月から隊員に採用されると、まちの特産である「川俣シルク」や「川俣シャモ」など、伝統産業や生産者のPR動画を制作しました。「ふくしまふるさとCM大賞」では、福島県知事賞を受賞するなど、動画で川俣町の魅力を発信しています。

川俣町と「人」をつなぎたい

今まで地名も知らなかった川俣町。暮らしてみると見えてきたことがたくさんありました。

「川俣町の山木屋地区は、東日本大震災による原発事故で1,200人の住人が避難を余儀なくされました。2017年には避難解除となりましたが、帰還できているのは2割にも満たないぐらいです。さらに、まちの若者たちは、仕事がないからと県外に出ていく子がほとんど。さまざまな事情があってこのまちを離れる人がいること、帰りたいと願う人がいること、それぞれの場所で故郷を想っている人たちがいることを肌で感じました」

佐原さんは、避難先の新しい場所も、就職先の新しいまちも、川俣町も、どれも帰れる場所だと伝えたいと考えました。そこで、「帰れる場所はひとつじゃない」をテーマに、まちにある日常風景を撮りはじめます。

【帰れる場所はひとつじゃない チャンネル動画】
http://www.youtube.com/@documentary_in_kawamata

「映像を言葉にするのは難しいのですが、川俣町の温かさや柔らかな自然、ありのままをそのまま映し出しています。このまちに住んでいた人たちが『ちょっと帰ってみようかな』って思えたり、このまちを知らなかった人たちが『ちょっと遊びに行ってみようかな』と思うきっかけを映像でつくることができたらうれしいですね」

佐原氏撮影 川俣町の風景

東北で活動を広げていきたい

はじめての地方暮らし、東京育ちの佐原さんはすぐに馴染むことができたのでしょうか。

「よく田舎は閉鎖的だと言われるけど、まちの人たちとはいい距離感で仲良くやらせてもらっています。移住という選択をしなければ出会わなかったような人たちと出会えたので、得られていることの方が大きいです。あえて大変なことあげるなら、庭の手入れですね。今まで庭のある家に住んだことがなくて、手入れをするという概念がなかったので、庭って大変なんだなと(笑)」

今後は、もっと川俣町の人に焦点を当てた作品づくりをしていきたいと佐原さんは話します。

「おはようからおやすみまでの1日をドキュメンタリーで撮ってみたいです。まちの人の暮らしを通して、川俣町ではどんな時間を過ごすことができるのか、映像で追体験してもらえるようなものが撮れたら面白いですよね」

現在、佐原さんは川俣町と東京との2拠点で仕事をしているそうです。「同じ場所でじっとしているのが苦手なので、モチベーションを保つために今のバランスがちょうどいいんです」と笑います。地域おこし協力隊の任期は3年間。その先の未来を、佐原さんはどう見据えているのでしょうか。

「映像はどこでもつくれるけど、川俣町はやっぱり大事にしていきたいです。田舎がなかった自分にとって、今では大切な“帰れる場所”になっているからです。これからもここを拠点にしながら、東北での仕事を増やしていくことが今の目標です」

帰れる場所があるから、どこでだって挑戦していける。佐原さんが伝えたいメッセージは、きっとだれかの背中をやさしく押してくれるはずです。