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福島県の海を知り尽くした鈴木酒造店 酒を通じて復活した浪江町を発信

「日本で一番海に近い酒蔵」。福島県浪江町の鈴木酒造店は、そう呼ばれていたそうです。

早朝、波の音や漁に出る漁師たちの無線のやり取りを聞きながら、酒造りを始める。浪江町の漁師たちは、大漁だったときは鈴木酒造店の定番酒「磐城壽(いわきことぶき)」の一升瓶で祝いました。「地元の魚とそれに合う酒は、誰よりも知っている」と、鈴木酒造店・杜氏の鈴木大介さんは話してくれました。

東日本大震災による酒蔵の流失と再生

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、浪江町に大きな被害をもたらしました。波の音が聞こえるくらい海に近かった鈴木酒造店は、酒も蔵も看板も酒造りに関するデータも、すべて津波で流されてしまいました。さらに、福島第一原子力発電所事故により浪江町へは立ち入りさえ出来なくなり、6年にも渡る長期の避難を余儀なくされることになります。

たまたま福島県の研究所に預けていた酵母が残っていたため、その年の夏には本数限定で「磐城壽」を醸造。11月には縁の出来た山形県長井市の蔵を買い取り、酒造りを再開しました。浪江町では、朝日は太平洋に昇りますが、長井では日本海に日が沈んでいきます。酒造りに欠かせない水や酒米のつくりかたも全く違います。試行錯誤しながら「磐城壽」をはじめとする定番酒を造り始めました。

長井での酒造りは年々軌道に乗り、2017年には、鈴木酒造店長井蔵で醸造した「一生幸福」が全国新酒鑑評会で金賞を受賞し(2022年には二度目の金賞受賞)、地元に貢献することもできました。

「故郷ふたつ」となった鈴木酒造店

2017年3月末、浪江町の一部地域の避難指示が解除され、人が住めるようになりました。震災から10年目となる2021年3月には、「道の駅なみえ」がグランドオープン。鈴木酒造店は同所に併設する形で新しい酒蔵を建設し、浪江町での酒造りを10年振りに復活させました。

もともと酒蔵があった場所は、津波の被害により「居住制限区域」となったため、同じ場所に酒蔵を作り直すことはできませんでしたが、それでも浪江町での酒造りを再開させるため、道の駅開設に合わせて同所での酒蔵建設を決めたのでした。

道の駅内に酒蔵をつくるにあたっては、酒造りの様子が見えるようにガラス張りにしたり、造った酒を試飲できるようにしたりと、鈴木酒造店からもさまざまな提案を行いました。再開の日の、地元の人たちからの「おめでとう」という言葉には、うれしさとともに、未だ浪江町に戻れない人たちの分も故郷をつないでいく責任を、強く感じたと言います。

浪江町で酒造りを再開した鈴木酒造店は、定番酒以外にも20種類以上の新製品を次々に発売しています。これは、新しい酒を提供し続けることで浪江町のポテンシャルを示し続けたい、という鈴木さんの思いからです。その一つ、「故郷ふたつ 海・山」は、名前の通り浪江町と長井、二つの故郷をイメージし、二つの酒蔵で造られたお酒です。また、浪江町に戻って初めて醸造したお酒は、「ただいま」という名前でした。酒を通して故郷を発信したいという鈴木酒造店の思いは、そのネーミングにも込められているのです。

長井蔵では、変わらず定番酒を造り続けています。震災後、あたたかく受け入れてくれた長井での酒造りの日々が無かったら、浪江町での復活も無かった、と鈴木さんは言います。長井での安定した酒造りがあるからこそ、浪江町で新しい酒造りに挑戦できる。鈴木酒造店は、これからも二つのふるさとを胸に、酒造りを続けていきます。なお、長井でつくったお酒はラベルに「羅針盤」が、浪江町でつくったお酒のラベルには「大漁旗」が描かれているそうです。酒蔵を船にたとえ、羅針盤で示された先に大漁旗をはためかせて海に出る。鈴木酒造店の思いが表現されたラベルです。

浪江町で造る新しい酒で「ふるさとの味」を再生

長井で酒米を生産する契約農家を探していた時、鈴木さんはある農家の家で、地元の在来野菜「花作大根」の紅花漬をご馳走になりました。それを味わった時「この茶碗の上に、地域の伝統が詰まってるな」と感じたそうです。

浪江町では、魚を食べるときは鈴木酒造店の「磐城壽」を合わせるのが定番でしたが、受け継がれてきた味は、震災と原発事故による避難で一気に失われてしまいました。鈴木さんは、浪江町の人たちの記憶に残っている「ふるさとの味」を、自分たちの酒で復活させたいという気持ちを強くしました。

福島県沿岸部でとれる魚、ヒラメやカレイは「常磐もの」と呼ばれ、高値で取引されてきました。震災後、少しずつ漁業が復活し、水揚げされるようになった「常磐もの」を応援しようと鈴木酒造店が発売したのが、「魚種専用酒」です。できた酒と魚の料理を味覚センサーで数値化してAIで相性を測り、ヒラメに合う酒、アンコウに合う酒、ホッキに合う酒、と科学的に分析したのです。

「浪江の魚の味は誰よりも知っている」という鈴木さんですが、その「勘」を見える化することで、浪江の人たちはもちろん、新しく常磐ものや日本酒に触れる人にも故郷の味を広めたい。そして、原発事故の影響で未だ商圏が戻っておらず風評被害もなくなっていない、ふるさとの一次産業である漁業の発信をも担っていきたいと考えています。

地域を深く知ることで、町に馴染んでいく

現在も浪江町と長井を行き来しながら酒造りを続ける鈴木さん。震災後に自身が長井に「移住」した際には、地域に覚悟を示すために苦渋の決断で住民票を異動したと言います。

原発事故の影響で避難した人たちは、町とのつながりを残すために住民票は異動しない人がほとんどです。しかし鈴木さんは、「いつか浪江に戻る」という気持ちを持ちながらも、今は長井の住民としてこの地で本気で酒造りをしていく、という覚悟を地域に見せていったのでした。「特に酒造りは単なるものづくりではないので、地域の皆さんに理解、協力していただくことが非常に重要でした」と鈴木さん。

最近では浪江町にも移住者が増えつつありますが、移住先で楽しく暮らしていくためには、その土地の文化や歴史を学ぼうという気持ちが大切なのではと話します。「田舎は一人でのんびり暮らしていけるというイメージがあるかもしれませんが、実は田舎の人は面倒見たがりなんです。心を開いて、地域を理解していくことで助けてくれますし、とても暮らしやすくなります。私たちも、いずれは移住して農業を始める人たちなどとコラボ出来たらと考えています」。

現在二人いる鈴木酒造店の浪江のスタッフは、一人は県外から一人は浪江町出身のUターンだそう。「それぞれに町を歩き回って、町のことをよく知ってくれているのでうれしくなりますね」と鈴木さん。スタッフの一人はフルマラソンに出場するほどのランナーでもあり、2023年7月にはそのスタッフが考案した「磐城壽 ランナー専用酒 RUNNERS High」というお酒も発売されました。

人と触れ合い、故郷・浪江町を伝えていく

鈴木酒造店では、県外の専門店に酒を卸すほか、日本酒や食のイベントにも積極的に参加しています。「人が飲むものは、人と触れ合うことで生まれる」という鈴木さん。鈴木さんも若手スタッフたちも、消費者と直接触れ合うことで刺激を受け、新しいアイデアが生まれて来るそうです。

また、「鈴木酒造店定期便〜鈴木大介が選ぶ酒と肴〜」として、日本酒と地元でとれた魚や酒に合うつまみをセットにした商品を全国に配送するという取り組みも行っています。福島県内の酒好きで知らない人はいない鈴木酒造店ですが、故郷・浪江町を伝えていくために、今でもたゆまぬ努力を続けています。

福島県に足を運んだ際には、ぜひ浪江町の「道の駅なみえ」に併設した「なみえの技なりわい館」を訪ねてみてください。鈴木酒造店の酒造りの様子をガラス越しに見学できるほか、その場でお酒を試飲することもできます。浪江に帰ってきたお酒を浪江で楽しみ、ふるさとを感じる。そんな贅沢な時間をお過ごしください。