INTERVIEW

インタビュー

農業には「チャンス」しかない。最先端のイチゴ栽培を行うネクサスファームおおくまで取り組んでいること

佐藤栄記さん

出身地:滋賀県
勤務先:株式会社 ネクサスファームおおくま
勤務期間:2018年〜
年齢:35歳

福島県双葉郡大熊町。福島第一原子力発電所の1号機から4号機の所在地であるこの町の避難指示が一部解除された2018年に「ネクサスファームおおくま」は立ち上がった。住民がまだ戻らない町で、新たにイチゴの栽培を行う事業を立ち上げる。そんなチャレンジに興味を持ち、設立直後に入社したのが佐藤栄記(さとう・しげき)さんだ。「未経験だからこそ変えていくことができる」「古い業界だからこそ、チャンスがある」と話す佐藤さんの移住ストーリーを伺った。

先輩の誘いで福島へ移住。放送の仕事を辞め、未経験の農業に挑戦するまで

福島県への移住を決めたのは、大学時代に在籍していた「探検部」の先輩に声をかけられたことがきっかけだった。「興味あったらどう?」と誘われたのは、その先輩が働く報道関係の企業。佐藤さんは好奇心の赴くままに、二つ返事で入社を決意。2013年、京都から福島県へと移り住むことを決めた。

入社した会社の業務は、メディアの音声担当者だ。ニュース、報道関係番組の制作のためにマイクを担ぎ、浜通り中心に福島県内全域を駆け回わる日々。復興に邁進する福島県各地の姿を、取材を通して見つめてきた。

取材の「ネタ」を探していたある日、佐藤さんは「大熊町にイチゴ栽培工場を建設する」という話を耳にする。大熊町ではこれまでイチゴの栽培は行われていない。避難指示が解除されていない状況で、そんなことが実現できるのだろうか?と、半信半疑だった。近隣の浪江町や川俣町では新しく花の栽培が始められたことは取材を通じて知っていた。しかし、だからこそ、その困難さも同時に感じとった。思い立ったらすぐに行動に移す佐藤さんは、仙台での就職説明会に参加。話を聞き、転職を決意した。

「2013年2月にまだ帰還困難地域だった大熊町大川原地区へ取材で訪れたことがあり、この町の状況は理解していました。だからこそ、人を雇って新しい事業を始めようということにまず驚かされましたが、同時にワクワクもしたんです。私自身、元々農業には興味を持っていたので、それならばネクサスファームおおくまで学んでやろうと思ってすぐに転職を決めましたね」

ネクサスファームおおくまのハウスは温度・湿度・日射・二酸化炭素濃度などの環境をセンサーで感知し、機械制御を行っている。人と機械で分業を行い、効率的な栽培に取り組む。

ハウス内で行われる栽培ポットに培地を詰める、作業後の道具を洗浄する、養液を混合するといった農作業は機械化されている。

古い業界には「チャンス」しかない。

佐藤さんが働くネクサスファームおおくまのイチゴ栽培工場は、29,000平方メートル、サッカーコート4面分もの面積を持つ。栽培にあたっては最新設備を導入しており、コンピュータ制御によって温度、湿度、光量、二酸化炭素濃度を管理している。そのため、年間を通じて安定的に栽培することが可能だ。20代、30代の若い社員も多く、ほとんどが他業種からの転職者だ。古い体制が残る農業法人の中では異質のベンチャー企業なため、従来の手法にとらわれずにチャレンジできる社風だ。

そんな農業ベンチャーへ創業期に入社した佐藤さんは、これまで経験したことのない業務に向き合うこととなる。農作業はもちろん、在庫管理のシステムづくり、会社内の情報システム構築、WEBページなどのコンテンツ制作、来客対応まで、幅広い業務をこなす「なんでも屋」だ。

「この業界は少し特殊なところで、一般的な会社なら当たり前にやっているような商品管理やマネジメントが行われていない。僕が入社した当時は収穫量を管理するシステムすらありませんでした。でも、知識を持った人はおらず、誰かが勉強してやるしかない状況。なら自分がやってやろうと、独学で知識を身につけていきました。自分の肩書きがわからないぐらい、なんでもやってましたよ(笑)初めて体験することばかりで毎日が新鮮で楽しいですね」

農業にはまだまだ「無駄」が多いのだと佐藤さんは続ける。多くの農家は保守的で変化を好まない。そのため、過去のやり方を踏襲するだけで、業務改善が進まない。佐藤さんはそんな業務のオペレーションを改善していきたいのだという。

「これまでは葉っぱの下に隠れているイチゴの取り逃がしが問題視されていたんです。そこで収穫を行う台車に鏡をつけて、葉っぱの裏が映るように工夫をしてみたところ、取り逃しが大幅に減少したんです。こんな小さな工夫で解決することを誰もやってもこなかったんですよ。

この古い体質は業界の課題ではあるのですが、私としてはチャンスだと思いました。すごい伸び代があるじゃないですか。私たちは業界の当たり前を知らないから、自由な発想で変えていけるんです。どんどん改善していきたいですね」

いちごを収穫する台に反射鏡をつけたことで作業効率が大幅に向上した。

移住に向いているのは「細かいことが気にならない人」

佐藤さんが移住を決めた時、前職を紹介してくれた探検部の先輩からは「大熊はやめておいた方がいい」と釘を刺されたのだという。未だ避難指示が一部解除されたにすぎず、除染作業は進んでいない。当然、仕事も住む家もないという状況を考えれば後輩のためを思っての言葉だということがわかる。しかし、そんな先輩の心配をよそに、佐藤さんは大熊町への移住を決めたのだという。

「僕自身、取材で何度か訪れていましたし、この町の状況については詳しく調べて理解していました。確かに不便なこともありますが、生活に困るなんてことは決してありませんよ。少し車を走らせれば商業施設がありますし、物流も再開してるので、ECを利用することも出来ます。あと、近くにジムもありますね。僕は筋トレが趣味なのでこれさえあれば生きていけます(笑)あれがない、これがないと細かい部分を気にする人は辛いかもしれませんが、それはこの場所に限った話ではないですから」

実は佐藤さんは、福島に移住する以前、小笠原諸島で漁師をやっていた過去を持つ。26歳の時に、漁師の求人募集を見かけ飛び込んだのだという。やりたいことを見つけたらすぐに行動に移す。そのフットワークの軽さは、大学時代に所属していた探検部で培ったものだ。

「探検部では調査のために様々な場所を訪れていました。まずは調べること、可能ならば行ってみること。自分の目で見ることの大切さをそこで学びましたね。移住も、実際に移り住んでみないと、本当のところはわからない。だからまずは表面上のことだけでもいいんです。とにかく何回も足を運び、自分で調べてみることが大事だと思います」

探検部では世界中のあらゆる場所で調査活動を行っていた。写真はインドネシア共和国・ヌサトゥンガラ諸島のスンバ島へ文化調査のために訪れた2005年当時のもの。

移住者として、「よそもの」であることを忘れない

また、多くの移住者にとって悩みの種となっている人間関係においても、佐藤さんは特に不安に感じたことはないという。それは佐藤さんがあくまで客観的に町のことを考え、適切な距離感を取ろうと心がけているからだ。これは、報道関係の仕事における取材者と、取材対象者との関係性に通じるものがある。

「移住者を歓迎してくれる雰囲気はすごくあります。なので、地域の方との間に壁を感じることはありませんね。一方で大熊は歴史があり、地縁と血縁が強い地域であるとも感じます。ここでは僕はあくまでよそ者だと思っているんです。町のために協力することは惜しみませんが、この町の未来を考えるのはやっぱり元々大熊町に住んでいた人がやるべきことだと思っているんです」

そんな風に語る佐藤さんが大熊町に移り住んで、約2年が経過した。今後もこの町に住み続けるのだろうか。あるいは、強い好奇心に従って、また別の町に移り住んでいくのだろうか。先の計画は未定だというが、この町で出会った農業だけは続けていくつもりだと冗談交じりに話してくれた。

「事業を軌道に乗せるまではネクサスファームおおくまで頑張っていきますよ。その先のことは、まだ決めていません。農家として独立するかもしれませんし、全く別の業界に移るのもおもしろいかもしれないと思います。ただ、なんらかの形で農業は続けていくつもりです。イチゴはもう沢山食べたので、次は別の作物がいいかな(笑)」

(2020/8/7取材)

  • 取材:高橋直貴、宗形悠希
    執筆:高橋直貴
    写真提供:佐藤栄記
  • 株式会社 ネクサスファームおおくま
    https://nexus-f.co.jp/