COLUMN

連載

子どもたちが走り回る未来を描いて。「 双葉事務器」が歩む復興への道

「たとえ小さな一歩でも、昨日より確実に前へと進んでいること」

こうモットーを掲げる株式会社双葉事務器は、双葉郡を中心にOA機器をはじめとした事務器の販売、保守サービスの提供を行っている会社です。

代表取締役社長の志賀祐広さんは「大変なときほど面白い!」と、どんな困難もポジティブに捉えてしまうバイタリティ溢れる人柄。そんな志賀さんに、双葉事務器がこれまで歩んできた道のり、双葉郡への想い、これから見据える未来を伺いました。

株式会社 双葉事務器

代表取締役社長 
志賀祐広さん

小さな文具店からはじまった双葉事務器

双葉事務器のはじまりは、1966年。双葉郡大熊町で父・廣三さんと母・和枝さんが営む小さな文具店の1本のペンからスタートしました。

当時の文具店にはめずらしく外商をするスタイルを取り、1982年に株式会社を設立。双葉郡の官公庁や一般企業、原子力発電所関連施設に事務器を販売・納品し、地域の方々から信頼を得てきたそうです。

穏やかな日々が一変したのは、2011年の東日本大震災。原子力発電所事故により、大熊町は全町避難を余儀なくされました。一部避難解除がされ、町に入ることができたのは8年後のことです。

震災当時、東京で仕事をしていた志賀さんはすぐに福島に戻り、震災1ヶ月後にはいわき市に部屋を借りてたった1人で仕事を再開させました。

「お客さんから『困ってるんだけど、配達できますか?』って電話が入ったんです。まだまだ大変な時期で色々と迷いがあったのですが、あの電話でスイッチが入りました。だって困っている人がいて、頼ってくれたら動かないわけにはいかないじゃないですか」

困難なときこそ「面白い」の精神で

「双葉郡の歴史を紐解くと開拓からスタートしています。原発事故で一旦はゼロになった町ですが、先人たちもゼロからスタートしてきたんです。だから、自分たちにもできないわけがありません。震災後は、悲しんでばかりじゃなく、もう一度前を向いて皆さんに認めてもらえるまで走り続けようと思ってやってきました」

志賀さんは『どんな困難もやってみなくちゃわからない』の精神で動き出したといいます。本社には立ち入りができず、社員も散り散りになってしまいましたが、どんな状況にあっても「面白い!」と言ってのけ、進んできました。

現在は事業所をいわき市や富岡町など4つの地域に置き、いち早くオンライン化を導入して移動の負担を軽減。今後は情報のクラウド化を進めるなど、業務のスマート化も行っていく予定です。

社員は30代が多く、チャレンジができる社風も特徴です。「仕事をしていると次々と課題や問題が出てきますが、問題があるってことは前に進んでいる証なんですよ!」と志賀さんは常に前向きな姿勢を崩しません。

新しいに出会えるコワーキングスペース

2020年には双葉町の復興拠点「双葉町産業交流センター」内に産業と地域をつなぐ交流拠点としてコワーキングスペース「FUTABA POINT(フタバポイント)」をオープンしました。

双葉町に復興拠点・双葉町産業交流センターができる計画段階で、町長から「何か面白いことができないだろうか」と相談があったことから、コワーキングスペースを作ったのだそうです。

コワーキングスペースがまだ注目されていなかったころ、志賀さんは東京出張ではじめて「コワーキング」というものを知り、地元でもいつか「コワーキングスペース」をやってみたいとアイデアを温めていました。全国のコワーキングスペースを巡り、レイアウトや居心地の良い空間を研究。 双葉町の復興と発展のために、出会いや発見がある場を目指して「FUTABA POINT」を開設しました。

「FUTABA POINT」は、ミーティングルーム、防音ブース、個別スペース、カフェスペース、文具販売などがあり、他には類をみないほど充実した施設。双葉駅からは車で5分、バスも出ておりアクセスのよい場所にあります。

志賀さんは双葉町で「FUTABA POINT」を運営してみたことで、課題も見えてきたといいます。

「この町は、まだまだ生活の基盤となるインフラやハード面の整備が必要です。異業種交流も必要ですが、昔の公民館のように地域の人たちが寄り合って話せる場も必要だと思います。いずれはここがそういう場にもなっていくんじゃないかな」

「FUTABA POINT」の可能性はまだまだ広がっていきそうです。

ここはチャレンジできる場所

「東京でも仕事をしてきましたが、都会と比較しても双葉郡っていいところですよ。美味しいものがたくさんあるし、人は温かいし住みやすいです。どんどん自分で仕事を作っていける、チャレンジできる場所だと思っています」

双葉郡へ移住を希望する人には、どんどんチャレンジを後押ししたいと志賀さんは話します。

「僕は否定から物事をスタートするのではなく、『楽しい』からスタートして、その次に『じゃあ、どう動く?どう形にしていく?』と考えます。スタッフとは色々なことを話して、逆に僕が勉強させてもらっています。それが1つの糧になって、アイデアが沸いてビジネス展開につながっていくんです」

前向きに考えられる人がスタッフとして来てくれたら面白いという一方で、志賀さんは「後ろ向きに考えたって別にいいんですよ」とおおらかに話します。一緒に考え、対話し、1人じゃできないことをみんなでやる。そんなスタンスがチャレンジできる場となっていくのかもしれません。

いつか大熊町で「文房具屋さん」を

「実は震災後に廃業してしまおうかと迷ったこともありました。でも、うちの父が何もないところから一代で築き上げてきたものは絶対に守りたかったんです」

子どものころから両親の働く背中を見てきた志賀さん。その尊敬の念は今でも変わらないといいます。「父親のゴツゴツした手は、今でもかっこいいと思いますね」と誇らしげに話す姿が印象的です。

双葉事務器機は志賀さんの両親が「双葉郡で一番になる」という想いを込めてつけた社名。現在では双葉郡以外からの取引も増え、会社は成長していますが、双葉郡に根ざしてやっていきたいという気持ちは変わらないといいます。

「『また戻ってきて商売やってるんだね!』と声をかけてもらえるのが一番うれしいんです。だって、両親ががんばってきた証になるじゃないですか」

今後は大熊町に本社機能を移転する予定もあるそうです。ピカピカなオフィスを想像していると、志賀さんが描く夢は意外にも「小さな文房具屋さん」を営むことでした。

「僕は子どもの頃から鉛筆や紙の匂いが大好きなんです。デジタル化で世の中がどんどん便利になっていきますが、今の子どもたちに昔ながらの良さも残してあげたいと思っています。学校の帰りに子どもたちが気軽に寄って、買い物もおしゃべりもできるような場所にしたいし、なんなら『晩御飯食ってけ〜!』なんていう、町のうるさい爺っちになりたいんです(笑)」

志賀さんが描く未来は、子どもたちが元気に裸足で駆け回れる双葉郡であること。そこで、文具店として地域の人たちを支えていくことです。

未来に広がる景色を想像し、双葉事務器は走り続けます。