INTERVIEW

インタビュー

復興に貢献する仕事に誇りを持つ。生コン製造「福島広野レミコン」での仕事とは( 後編)

私たちの日常生活に欠かすことのできない道路や橋などのインフラ、学校、ビルなどの建物。これらを作る土台となるのが、コンクリートです。

福島県広野町で生コンクリートの製造・販売をしている「福島広野レミコン株式会社」は、福島の発展に向けて日々、生コンクリートを製造し、建設現場へと運んでいます。

2018年に広野工業団地に工場を新設した福島広野レミコンでは、社員寮を完備し働きやすい環境が整っているため、他県から移住してきた従業員も多いのだそうです。

そこで、宮城県から移住した大型車ドライバーの相澤吉慶さんに「どんなきっかけで移住したの?」「働きやすさは?」「広野町での暮らしは?」など、実際に移住してみた生の声を伺いました。

福島広野レミコン株式会社

常務取締役    熊林直人さん
大型車ドライバー 相澤吉慶さん

自分の経験を生かして転職、広野町へ

福島広野レミコン株式会社に勤務する相澤吉慶さんは、生コンクリート(以下:生コン)を運搬するミキサー車のドライバーとして、日々福島の建設現場を支えています。

前職も生コン製造会社でドライバーを務めていた相澤さんですが、転職のために宮城県仙台市から福島県広野町に移住してきました。

「自分の経験を生かせるところへ転職したいと思い、求人情報誌はいつもチェックしていました。そこでこちらの求人を見つけ、福島の復興に携わる仕事ができること、福利厚生がしっかりしているところに惹かれて応募させていただいたんです」(相澤さん)

福島に移住してきて間もない相澤さんですが、こちらでの仕事は自分に合っていると感じているそうです。

「体制が整っているので無理なく自分のペースで働けています。会社の人たちも親切ですし、今の環境に感謝して働いています。自分に合った環境を選ぶことって、改めて大切だなと感じているところです」(相澤さん)

自分が運んだ生コンで構造物が作られる誇らしさ

前職と同じ大型車のドライバーとして勤務する相澤さんですが、以前の職場と勝手が違って困ったりするようなことはないのでしょうか?

「困ると感じることはありませんね。それよりも、以前より余裕を持って仕事ができるようになったかもしれません。仙台は狭い道や一方通行、高さ制限のある道が多い分、焦ってしまうことがあったのですが、こちらは道が広くて助かっています。地域性もあるかもしれませんが、現場の方達も親切で安全管理が行き届いているので、安心して仕事ができています」と相澤さん。

「こちらの仕事は、復興関係の需要が大きいので安全管理が行き届いているんですよね。そういう意味では、民間の競争原理の中での仕事の在り方とは少し異なる点かもしれませんね」

こう教えてくれたのは、常務取締役の熊林直人さん。ご自身も東京から転勤し広野町で暮らしているそうです。

「当初は復興のためにと思って福島に来ました。しかし、復興に関わる事業だけでなく、思った以上にいろいろな現場に携わらせていただいています。今後は風力発電建設事業にも関わっていきますし、生コンの可能性はどんどん広がっていますよ」と熊林さんは話します。

生コンはインフラ整備に使用されるだけでなく、福島の未来につながるモノづくりにも大きく貢献しているのです。そんな仕事について相澤さんは、やりがいを感じているといいます。

「やはり自分が運んだ生コンで道路や建物が出来上がるのは楽しみです。この仕事の醍醐味でもあり、誇らしさを感じていますね」(相澤さん)

家具家電付きの社員寮で一歩踏み出すことができた

そんな相澤さんですが、移住するに当たっては不安に思うことはなかったのでしょうか?

「社員寮があったので移住のハードルを感じることなく決断できました。こちらに来て驚いたことは、社員寮が思っていた以上に新しくてキレイだったことです。テレビや冷蔵庫、洗濯機、ベッドなど、家具家電付きだったことも非常にありがたかったです。着替えさえあれば、そのまま住めてしまう環境なんですから。移住のために新しく物を購入する必要なく、気軽に引っ越しできることで前向きに一歩を踏み出すことができました」(相澤さん)

福島県12市町村や広野町では移住支援金の補助がありますが、相澤さんは申請することなく先に移住を決めたといいます。

「移住支援金はこちらの生活に慣れてから申請させていただくつもりです。仕事や環境が合わなかった場合のことも考えて、補助金の申請は慎重に行いたいと思ったからです。実際にこちらに来てみて、今はこの先もやっていけそうだなと感じているところです」(相澤さん)

そんな相澤さんは広野町の良さを伺ってみると「晴れている日が多く、空が澄んでキレイなところ」と教えてくれました。反対に、飲食店などがもっと充実してほしいと感じているそうです。「離れてみたことで住み慣れた仙台の良さにも気づくことができましたね」と笑います 。

最後にこれからの展望を伺いました。

「福島の復興に貢献する仕事に誇りを持って取り組んでいきたいです。これからも使命を持って、安全に生コンの運搬を行っていきます」と力強く語る姿が印象的でした。