INTERVIEW

インタビュー

復旧・復興のその先へ 浪江町のコンクリート製造会社ダイイチ

株式会社ダイイチ

取締役 イノベーション担当 下河邉 秀行さん

「復興事業は、急激に減る時期が来る。その時にどうしていくかを考えている」

産業団地への企業進出や隈研吾さんによる駅前再開発など、新しいまちづくりのニュースが著しい、福島県浪江町。その浪江町に本社を置く株式会社ダイイチ(以下、ダイイチ)は、1969年に操業を開始したコンクリート二次製品、土木・環境資材の製造・供給を行う会社。町のインフラを担うハード事業には、無くてはならない業種です。その第一線で働く、取締役・下河邉秀行(しもこうべ ひでゆき)さんが今感じる町や会社の未来を、南相馬市鹿島区にある南相馬事業所・善徳工場で伺いました。

まちづくりに使う資材は、環境に配慮した商品を

道路工事や圃場(ほじょう)整備で使用する側溝や護岸ブロック、標識・フェンス等のコンクリート製基礎ブロックなど、災害復旧やまちづくりに欠かせない資材を製造・販売するダイイチ。その商品は、福島県の「うつくしま、エコ・リサイクル製品」に認定され、「ダイイチECOシリーズ」として製造、販売しています。

福島県の「うつくしま、エコ・リサイクル製品」に認定された商品にのみ付けられるマーク

見渡す限りに設置されている、コンクリート資材。「これでも狭い方なんですよ」と話す下河邉さんは、2013年に会社を継ぐため、父の経営するダイイチに入社しました。取材中にも何度も電話が鳴り、最前線で働く様子が感じられました。

機械工学系から資材の製造・販売へ 共通することは

1989年生まれの下河邉さんは、いわゆる平成元年生まれ。なんと取材当日が誕生日で、そんな大切な日に、笑顔で取材に対応してくださいました。

浪江町で生まれ育ち、高校は南相馬市に進学。その後、岩手県盛岡市の大学・大学院に進んだ下河邉さん。大学生時代は工学部機械工学科、大学院では金型・鋳造工学を専攻し、機械加工や射出成型、プレス成型などの金型について学ぶなど、現職と直結はしないジャンルを専攻していた下河邉さん。その後の就職も、福島市内で通信機器系の大手企業で働くなど、機械工学が好きでずっと学んでいたそうです。

震災当時は大学生で盛岡市にいた下河邉さん。盛岡市内も震度5強を記録し、5日ほどは電気と水道が止まっていたと振り返ります。浪江町には3月12日に避難指示が発令されたため、浪江町にいた家族は東京の親戚宅へ避難、数週間後、下河邉さんも東京で家族と会うことができたそうです。大学院に進学するタイミングだった下河邉さんは盛岡市に戻りましたが、授業が始まったのはゴールデンウィーク明け。東北全体が、インフラと生活の復旧に明け暮れていた時期でした。

下河邉さんが進んだ大学院は、金型・鋳造の研究・開発を行う全国でも数少ない専攻があり、そこでの学びは「現在の業務につながる部分がある」と下河邉さん。大学院では珍しい実習が専攻であったため、学生ながら企業の人たちと接する機会が多かったこと、また、ものづくりの根幹をなす「金型」を使用したものづくりは、品質管理やプロセスが非常に重要かつ、繊細。そういったことを学生時代に実地で学べたことは、現在の製造業務に活きていると話します。

絶対に無くならない仕事と新規開発

ダイイチは2013年1月に、現在の南相馬事業所で操業を再開。震災での災害復旧、新たなインフラ整備を行うにあたり、建設業界は無くてはならない業種。「地元の発展に、目に見える形で直接かかわることができる」のがこの業界のやりがいなのではないかと下河邉さん。

現在の従業員は、14人。震災後に地元で雇用した人たちがほとんどだということですが、移住者や転職者も歓迎だと言います。

営業職では、既存顧客・新規顧客の訪問、説明を行うため、円滑なコミュニケーションをとることができ、車社会の地域柄、普通免許を持っていることは必須ですが、会社の製品の知識などは、入社してからしっかり指導を行うため、資格や事前の業界知識などは問わないとのこと。
また、現場作業員も募集しており、こちらは一日中外で作業を行うため、10キロくらいの資材を自力で運べるくらいの体力のある人を求めています。ただ、運搬や積み込みの作業は基本的にフォークリフトや天井クレーンを使用するため、女性も2人ほど勤務しているとのこと。資格は入社後に取得することも可能ということでした。

「せっかく戻ってきたからには、地元の復興に貢献したい」と話す下河邉さんですが、その復興事業に終わりがあることも見据えています。「災害は繰り返し起こりますし、地元のインフラ整備は無くならないので、必ず必要とされる仕事ではありますが、大規模な震災復旧や新産業のインフラ整備は近い将来大きく減少します。今ある整備を活かした新しい製品を製造するのが理想ですが、どのような製品が必要とされるのか今から準備しておく必要があります」と気を引き締めます。

今後の町の姿、移住者との関わり

震災から12年がたち、浪江町、南相馬市をはじめとする福島県浜通りは「仕事と交通インフラが更に整えば、新しい人がもっと入って来やすい地域になる」と下河邉さん。浪江町には国際教育研究拠点が設立されることも決定しており、そういった最先端の事業に、ハイテクとローテクを組み合わせられるような仕事をつくっていきたいとも考えています。

地域に移住者が増えることに対しては、「新しく人が入ってくるのは、新しい考え方や産業が生まれていくので、とてもいいことだと思う」と歓迎しています。「ほかの地域から来た人と関わることは刺激になりますし、『こういうことをやってみたい』というような思いがあるなら、ぜひ手助けもしていきたい」と話します。

長らく地元を支えてきた企業が、従来の役割を果たしながらも新しい道に進んでいく姿は、新しいまちづくりへの大きな力になるに違いありません。