INTERVIEW
インタビュー

事業転換も町おこしも、「人」を大事にすることから。株式会社八島総合サービスの経営哲学(前編)
株式会社八島総合サービス
代表取締役 八島貞之さん
ビルメンテナンスサービス会社と聞いたら、どんな会社を思い浮かべますか。
清掃や設備管理など、裏方の仕事というイメージを持つ人は多いかもしれません。
しかし、「株式会社八島総合サービス」の代表・八島貞之さんに会うと、その印象が覆されました。
八島さんは、とにかくエネルギッシュ。人と地域を巻き込む力のあるユニークな人です。 「清掃」を裏方の業務と捉えるのではなく、衛生的な環境を整えることで、人の健康や働きやすさ、幸せにまで関わる仕事だと考えています。
さらに、「なみえ焼きそば」の仕掛け人として町おこしに奔走した人物でもあります。
焼きそばで町を盛り上げ、清掃で暮らしを支える。一見まったく別の活動のように見えて、そこには共通する哲学がありました。
「地域に“戻れる場所”を残したかったんです」
そう語る八島さんに、経営の原点を聞きました。
祖父の背中、祖母の言葉
八島総合サービスの原点は、戦後まもなく祖父が立ち上げた農機具製作所にあります。確かな腕で作られた農機具は地域で評判となり、事業は順調に成長していきました。
しかし、高度成長期に入ると農業は急速に機械化が進みます。大手メーカーからは、「代理店にならないか」という誘いが持ち込まれるようになりました。
それでも祖父は、あえてその誘いを断ります。
「機械よりも、自分たちが作る農機具のほうがいい」と信じていたからです。
ところが、機械化の波は容赦なく押し寄せました。農機具は売れにくくなり、このままでは立ち行かないという状況に追い込まれます。そこで祖父は発想を切り替えました。
機械を購入した農家には、それらを保管する倉庫や納屋が必要になる。ならば、と軽量鉄骨による倉庫・納屋の建設へと舵を切ったのです。
その後、父があとを継ぎ、1992年に建築業として法人化。事業の形が変わっても、「地域に必要とされる仕事を続ける」という姿勢だけは揺らぐことなく受け継がれていきました。
商いを続ける難しさを一番近くで見てきた祖母は、幼い八島さんにこう言い続けてきました。
「地域に支えられているから商売ができる。どんなに苦しくても続けなきゃいけないよ」
その言葉は、八島さんが後に事業を続けるうえでの揺るがない“土台”となっていきます。
人との縁があれば、なんとかなる
筋金入りの“おばあちゃん子”だった八島さんには、もう一つ忘れられない言葉があります。
「20代のころは、給料をもらっても二週間ほどで使い切っちゃってました。すると、 土曜の夜に飲みに行くお金がなくなるんです。そんなとき、祖母は決まって『お金がないからって、人付き合いを断るんじゃない。ばあちゃんが貸してやる』って言って、一万円を握らせてくれるんです」
「人との縁を大切にしなさい」という祖母の教えは、気づけば八島さんの揺るぎない軸になっていました。
家業である八島鉄工所を継ぎ、商工会青年部では部長を務めるようになったころ。事業は順調どころか、むしろ厳しい局面に立たされていました。
鉄骨工事を中心にした仕事は景気の波を受けやすく、受注は減り、資金繰りにも追われる毎日。家族を養う責任を抱えながら、家計への不安も募った時期もあったといいます。さらに、リーマンショック前後の世界的不況が追い打ちをかけ、商工会の活動すらままならない状況でした。
それでも八島さんは、 「人との縁があれば、なんとかなる」と信じていました。
浪江焼きそばで町を盛り上げたい
町には大手スーパーが進出し、国道沿いにはドラッグストアが並ぶようになりました。便利になる一方で、中心街の商業は少しずつ厳しさを増していきます。
「このままでは景気が落ち込むばかりだ」
危機感から、商工会で持ち上がったのが“焼きそば”による町おこしでした。
「私たちが次世代を担う若者だと言われていたので、力を合わせて何かやろうと企画したのが、焼きそば事業のはじまりです」
きっかけは、静岡県・富士宮市への研修でした。富士宮焼きそばはB級グルメをきっかけに観光客を呼び込み、わずか4年で約280億円もの経済効果を生み出しました。
観光資源がなくても、「食」を起点に人は動く。現地でその事実を目の当たりにし、八島さんたちは「浪江にも可能性がある」と感じます。
浪江町には、もともと極太麺の焼きそば文化がありました。労働者向けに腹持ちの良さを追求したのがはじまりで、一般的な麺の約3倍ある極太麺に、豚バラ肉ともやしだけのシンプルな具材。濃厚なソースで炒め、一味唐辛子をかけて食べるのが定番です。
「焼きそばが地域のブランドになるなんて、その時は思ってもみませんでした。正直、経済効果は期待していなくて、僕にとっては“町おこし”であり、同時に“仲間づくり”でした」
2008年、八島さんたちはまちおこし団体「浪江焼麺太国」を“建国”。八島さんは仲間を率いる存在として、初代「太王(たいおう)」に就任し、なみえ焼きそばの顔として活動をはじめました。
2010年には、全国的に注目されていた「B-1グランプリ」に初出場。マスコミにも取り上げられるようになり、町のムードは少しずつ変わり始めます。
「これからだ」と、誰もがそう思っていたその矢先。東日本大震災が起きました。
(後編へつづく)
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取材日:2025年10月
取材、執筆:奥村サヤ
写真、コーディネート:中村幸稚
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株式会社八島総合サービス
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