INTERVIEW
インタビュー

桜の町・夜の森の新名物。生米粉100%で作る バウムクーヘンが紡ぐ復興への道(前篇)
BAUM HOUSE YONOMORI
代表 遠藤一善さん
福島県富岡町夜の森地区。樹齢100年以上ものソメイヨシノが全長2.2Kmにわたり植えられ、春になると満開の“桜のトンネル”が多くの人を魅了する桜の町です。
そんな町から人の営みが消えたのは、2011年。東日本大震災による原発事故で、夜の森地区は帰還困難区域に指定され、12年もの間立ち入ることが許されませんでした。2023年4月に避難解除されたものの、かつてのような賑わいはありません。
そこで「町を再生させたい」と、バウムクーヘン専門店を開業したのが商工会長であり建築士でもある遠藤一善さんです。「必要なのは人が集まる場所。たとえ小さな点でも、ここから可能性を広げていきたい」と話す遠藤さんに、店をオープンした経緯や想いを伺いました。
想いをつなぐバウムクーヘン店
2023年8月、桜の名所、夜の森の桜並木のすぐそばにバウムクーヘン専門店「バウムハウスヨノモリ」がオープンしました。甘い香りに誘われて店内に入ると、ショーケースにはきらきらと輝く大小さまざまなバウムクーヘンが並びます。
富岡町産のお米「天のつぶ」を店内で製粉し、米粉100%で作ったバウムクーヘンはもちもちの食感。商品はYONOMORI BAUM(Sサイズ)と樹望バウム(ミニサイズ)の2種類のサイズがあり、「さくらプリンス」「玄米ハード」「プレーン」、期間限定の「さつまいも」などさまざまな味を楽しむことができます。
取材のこの日、お店には次々とお客さんが訪れ、袋を抱えてうれしそうに帰っていく姿がありました。お客さんのひとりに話を聞いてみると、仙台からわざわざこのバウムクーヘンを目当てに買い物に来たのだとか。
「オープンから1年経ちますが、月に何度も足を運んでくれるお客さまや震災後久しぶりに夜の森を訪れたというお客さまなど、さまざまな方が立ち寄ってくださいます。YONOMORI BAUMはただのお菓子ではなく、町の想いをつなぐお菓子なんです」
こう話す遠藤さんは、震災前は1級建築士として町内で設計事務所を経営していました。なぜ、この町でバウムクーヘン専門店を営むのでしょう。
震災後、建築士として町を支えてきた
JR夜ノ森駅前に自宅があり、この町で生まれ育った遠藤さんは、建築士を目指して大学進学を機に上京しました。30歳でUターンし、設計事務所を開設。住宅設計を専門に、地域に根ざして順調に会社経営をしてきました。
50歳を目前にした2011年3月、東日本大震災の発生により事態は一変します。遠藤さんは建築士として、真っ先に建物の緊急情報収集に取り組み、その後は消防団員として住民の避難支援にあたりました。翌日には避難指示が出され、その後は川内村、埼玉県、福島市、いわき市と住まいを転々とすることになりました。避難している間も、被害状況を確認するため、町と連携し、防護服を着用して富岡町全ての住宅の外観調査を行ってきました。
「建築士として町の被害調査に関わり続けてきたことで、状況を正しく把握できたことはよかったです。放射線のことも学んだうえで、『いつか帰ろう』と帰還の決断ができましたから。30歳でUターンをしたとき、私はそれなりの覚悟を持って富岡町に戻り、事業を立ち上げました。だから、『こんなことで負けてたまるか』という気持ちがくすぶっていたんです。いつか帰れる日が来たら、建築士として町のためにできることをやろうと考えていました」
富岡町のお土産品を作りたい
2017年、富岡町の一部で避難指示が解除されるとともに遠藤さんも帰還しました。設計事務所を再開させ、2018年には富岡町の商工会長に就任。商工会は本来、小売店や飲食店、サービス業などの店舗オーナーが集まって組織化するものですが、町に戻って商いを再開する人はいなく、小売店は1件もない状態でした。
震災前、JR夜ノ森駅前周辺は和菓子店など商店があり賑わっていたそうです。しかし、今は手土産を買う場所すらありません。富岡町が誇れるようなお土産があれば、この町を知ってもらうきっかけになるのではと考えた遠藤さんは、町のお土産品を作ることを思い付きました。
そこで相談したのが、避難中にお世話になった福島市にある米粉を使用したバウムクーヘン専門店「バウムラボ樹楽里」です。「富岡産の米でバウムクーヘンを製造できないだろうか」と相談すると、さまざまなアドバイスをもらいその可能性が見えてきました。
しかし建築士の遠藤さんは菓子店の経験はありません。そこで、既存の菓子店数店舗に富岡町での事業再開を打診しましたが、ごとく断られてしまったといいます。
「無理もありませんよね。居住人口2,000人足らずの町で商売が成り立つわけがないと判断するのは当然です。ですが、誰かがはじめなければ町の復興はありません。それで、『言い出しっぺがやるしかない』と腹をくくったんです」
(後編へ続く)
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取材日:2024年11月
取材、執筆:奥村サヤ
写真、コーディネート:中村幸稚
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【BAUM HOUSE YONOMORI】
https://www.yonomori-baum.com/