INTERVIEW
インタビュー
楢葉町のささやかな変化に寄り添い、町民となって“今”を見つめる
西﨑芽衣さん
お昼時、あわただしく取材に応じてくれた西﨑芽衣さん。一般社団法人ならはみらいで働く彼女は、東京から移住して来た。26歳という若者ながら多くのプロジェクトを担い、この場所の中心人物として活躍している。
震災が進路に影響を与え、大学入学後は被災地へ
「高校3年生の卒業間近に、東京で東日本大震災を経験しました。その影響もあって、浪人中に進路を考え直し、マスコミ関係の仕事を目指すようになりました。立命館大学に入ってからは、福島でボランティアをする団体を仲間と立ち上げ、足湯を使った傾聴ボランティアのため、仮設住宅の集会所を何度も訪れました」。
休学を決意し、1年間楢葉町の人々のために奔走
彼女が初めて楢葉町を訪れた2013年、この町はまだ避難指示区域だった。
「まるでゴーストタウンのようでした。異様な雰囲気だったことを覚えています。楢葉町の方々とは避難先のいわき市で知り合い、年に何度か訪れて対話や文通を重ねるうちに、町民の方々の気持ちを分かった気になっていたんです。そんな時、この町について熱く語っていた方が、『楢葉町には戻らない』と言うのを聞いて衝撃を受けました。想いがあっても戻るわけではないんだな、私は表面しか見ていなかったと気づかされました」。
2014年、ならはみらいが設立。2015年9月5日、楢葉町の避難指示が解除された。
「1年間休学し、当時は楢葉町の避難指示が解除されていなかったため、いわき市の仮設住宅に住んでいました。その間、臨時職員として働けることになりました。一番意識していたことは、町民の方自身が、自分の町のことを主体的に考えるきっかけづくり。当時は、町に戻った方と戻らないと決めた方の意見や立場の違いが表面化している時期でした。でも、ここがふるさとであることには変わりないので、両者が自然に交われる町にしたかった。外から来た人間で、どちらの立場でもない自分だからこそできることかなと考えました」。
町の変化を見逃さないように、ここにいることが重要だった
その後、彼女は復学して就職活動を開始。東京で内定をもらうも、辞退を選んだという。
「東京の職場で経験を積んで、いずれこの町に戻ろうと思っていました。だけど、ここでの1年を思い返して…。ゴーストタウンだった頃から町を見ていると、道に花が植えられたなとか、お店が1件開いたなという変化がすごくうれしいんですよね。それをよろこぶ経験ができるのは大きかった。“今”ここにいることが重要だと思って内定を辞退しました」
当時、ならはみらいに求人があったわけではなく、先に移住を決めたのだそう。その決意には、私がこの町の変化を見なくて誰が見るのだ?という強い想いを感じる。
町民や職場の仲間とともに、未来へ一歩一歩進んでいく
2018年7月30日、笑(えみ)ふるタウンならは内に、みんなの交流館ならはCANvas(キャンバス)がオープンする。彼女が携わる大きなプロジェクトの一つだ。
「“CANvas”という名前は、白紙からみんなで彩っていきましょう、という意味が込められています。この交流館は、町民の方々によるワークショップをもとに設計されました。みんなの想いが詰まっている場所なので、色々な可能性を持っていると思います。どんな場所になるのか、できるのかワクワクしています」。
職場の仲間はもちろん、町民の方、役場の方と一緒に想いを形にしていく。
「ここでの仕事にはとてもやりがいを感じます。仕事の成果が、自分や自分が関わる町民の皆さんの暮らしを少しずつ良くしている。この町での暮らしが楽しくなっていくことがうれしい。まわりに支えられながら一歩一歩進めていく毎日です。職場のメンバーの数は、入社当初の倍以上になりました。それぞれ異なる業務を担当していますが、町の今後についてもよく話します」。
西﨑さんにお話を聞いて印象に残ったのは「移住して町民になったので、ここは私の町でもある。私が住みたい町にするしかない」という言葉。もう外の人間ではなく、地に足をつけて楢葉町と向き合う彼女の意志は強い。彼女がいるだけで楢葉町はどんどん変わっていくはずだ。
(2018/7/3 取材)
※現在「一般社団法人ならはみらい」の求人募集は行なわれておりません。
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取材・執筆:石川ひろみ
撮影:出川光 -
一般社団法人ならはみらい
住所:〒979-0604 福島県双葉郡楢葉町大字北田字鐘突堂5-5 楢葉町公民館
詳細ページ:https://jp.stanby.com/ats/narahamirai/jobs
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