INTERVIEW
インタビュー
双葉郡8町村の繋がりを大切に。ゼロからのまちづくりに挑戦中
平山勉さん
高校卒業後に上京し20年以上暮らした後、2009年に富岡町にUターンした平山勉(ひらやま・つとむ)さん。震災後の双葉郡8町村の復興活動を率先するフロントランナーの一人である。そんな平山さんにこれまでの経緯やこれからのまちづくりについてお話を伺った。
二足のわらじを履く多忙な日々
「富岡町に戻ってきたのは両親が高齢になり、実家のホテルひさごを継ぐためでした。同時に、地元に戻ってきても音楽レーベルの仕事は継続していて、東北の音楽の魅力を届けたいと考ました。県内だけじゃなく仙台や山形のライブハウスも回り、音楽の地方発信を目指してやっていましたね」。
Uターンした当時をこう振り返る平山さん。音楽の仕事と経験がなかったホテル経営を両立しながら充実した日々を送っていた中、震災が起きた。
富岡町への想いを横断幕で発信
富岡町は警戒区域に定められ、平山さんも避難を余儀なくされた。
「震災直後のあのどうしようもない無力感がズシンと重く引っかかっていてね…。何かをやりたくてもやりようがない状況だったけど、何もやらないのではなく、ちょっとずつでもいいからやれることを見つけて広げたかった。メディアの発信を待つだけでなく、住民目線で感じたことや見たことを発信するべきだと思いました」。
富岡町の想いを発信するためにとった平山さんの行動は早かった。2011年8月「富岡は負けん!」と書かれた横断幕を国道6号沿いの歩道橋に掲げた。ライブカメラが設置された場所から、各地の避難先で暮らす離れた町民に向けたこのメッセージは、心の込もった魂の横断幕として大きな話題を呼んだ。
双葉郡未来会議での活動
2015年には、震災以降バラバラになった双葉郡8町村の住民同士が繋がり、情報を共有し今後に役立てることを目的とした民間団体、「双葉郡未来会議」を立ち上げた。
「自分たちの町のことだけじゃなく、双葉郡8町村が離れていてもお隣さん同士、一緒に頑張ろうと呼びかけていったんです。決して無理して集めようとしたのではなく、8町村の人間を集めての飲み会がスタートで(笑)。この人と繋がるのは必然だなと思う人との出会いがたくさんありました」。
双葉郡未来会議では、8町村それぞれの現状がどうなっているのかをシンポジウムで発表し、冊子やホームページにまとめて発信をしてきた。現在は250名ほどまでに広がりを見せている双葉郡未来会議。それでもまだまだ平山さんの中にはやりたいことがたくさんあるのだという。
「自分の中ではやりたいことが100個くらいあるんですよ。例えば、教育や漁業、医療など各分野に特化した形での検証と発信をしていきたいですね。8町村の中でも復興の進捗が大きく違うので町村単位ではなく、地域全体で見た流れを把握することが大事です」。
ゼロからの地域づくりに携われるのがやりがい
最後に平山さんから富岡町への移住を考えている人へのメッセージを頂いた。
「ちょっとずつではありますが、人の生活が戻ってきてやれることも増えてきました。大変なことはたくさんありますが、ゼロからの地域づくりができるということは、とてもやりがいがあります。そうした部分に共感してまちづくりを一緒にやってもらえると嬉しいです。まずは富岡町の現状を知ってもらうため、一度足を運んでもらえれば。そのきっかけとなるイベントなども考えていますよ」。
平山さんの話からは強い地元愛とバイタリティが伝わってくる。
「良くも悪くも町の変化を肌身に感じながら生活してきました。これからどう変わるかちゃんと行く末を見届けなければ、と思っています」。
ホテル経営と音楽活動、そして双葉郡未来会議としての活動。どこまでも前向きな平山さんの忙しい日々はもうしばらく続きそうだ。
(2019/1/15 取材)
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取材・執筆:七海賢司
撮影:古澤麻美 -
ふたばいんふぉ
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双葉郡未来会議
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