INTERVIEW

インタビュー

震災で失った故郷と工場を取り戻すまで。三輪鉄工所3代目 が語る、地域に生きる覚悟と再建の歩み(後編)

有限会社三輪鉄工所

代表取締役 神谷健二さん

1947年、富岡町で創業した「有限会社三輪鉄工所」は、東日本大震災と原子力事故によって故郷の工場を失い、ゼロからの再出発を余儀なくされました。

家族と離れ、川越といわきを往復する二拠点生活を強いられましたが、3代目の神谷健二さんは「会社と従業員を守る」という覚悟を貫き続けました。

四倉工業団地の仮設工場から始まり、広野町に新たな拠点を築くまで。その道のりは、苦境を乗り越えながら地域に根ざす鉄工所へと再生する歩みでした。

富岡町への想いを胸に、広野町で再始動

四倉工業団地での仮設工場での操業は再開したものの、神谷さんの頭の中には常に「富岡に戻りたい」という想いがありました。しかし、富岡町の帰還状況や、人を集めることの難しさを考慮し、現実的な選択を迫られます。

「富岡町に近く、再建の拠点として機能する場所」を求めていたとき、広野町の工業団地にある空き区画の情報が入りました。

「元々お惣菜工場だった場所で、細長い区画だったのですが、鉄工所は、材料を入れて加工し、積み込むという流れ作業が基本です。この細長い敷地が、ライン作業に適していて最適だと思いました」

その直感のもと、2021年に三輪鉄工所は広野町に新工場を建設し、本格的な再スタートを切ります。富岡町への帰還という夢は叶いませんでしたが、かつての拠点に近い場所で、事業を再構築する決断を下しました。

職人の「勘と経験」から「仕組み」へ

広野町での再始動にあたり、神谷さんは工場のあり方と人材育成の方法を根本から見直しました。震災前から在籍する熟練の職人はわずか1人。再始動後に加わった新しい人材で、どう生産性を高めていくかが課題でした。

「昔ながらの鉄工所は、職人の勘と経験に頼る部分が大きかったのですが、それでは、未経験の人が定着しないし、工場を回せません」

神谷さんが取り組んだのは、作業の「仕組み化」でした。図面を簡素化して部材ごとの詳細図に分けることで、誰にでも理解できるように工夫。さらに複雑な工程を細かく分解し、未経験者でも取り組める形へ変えていきました。

これにより、未経験者でも1年ほどで工場内の基本的な作業を習得し、3年ほどで一人前の仕事ができるように成長する仕組みが整いました。この新しい体制によって生産性が向上し、以前は断っていた比較的大型な工事も受注できるようになったそうです。

現在、三輪鉄工所では福島県内のさまざまな店舗の鉄骨建築に携わっており、地域社会の暮らしを土台から支えています。

地域に開かれた身近な鉄工所でありたい

神谷さんが改革したのは、仕事の仕組み化だけではありません。社員が働く環境の改善にも積極的に取り組んできました。

「かつての鉄工所は、休みが少なく、危険で過酷な職場というイメージがありました。でも、そこで働く人には家族もいますし、何より仕事そのものが楽しくなければ続かないと思うんです」

そのため会社では年間カレンダーを作成し、計画的に休みを確保。社員とその家族の幸せを最優先に考えた働き方を進めてきました。神谷さんには「社員が安心して働き、プライベートを充実させることが、結果として質の高い仕事につながる」という信念があるからです。

今後の展望について伺うと、「地元に根ざした鉄工所でありたい」と話します。

「地域に信頼していただき、継続的に仕事を任せてもらえる存在を目指したいです。町に開かれた鉄工所でありたいですね。妻は鉄を使ったクラフト家具などの製作にも興味がありますし、地元のお祭りやイベントに出店してみたいとも思います。そうした活動を通じて、鉄工所を地域の人にもっと身近に感じてもらえればと思っています」

震災を乗り越え、地域の復興に尽力しながら会社を再建した神谷さん。その経験と覚悟で、社員と地域を大切にする未来志向の鉄工所を築き続けています。

  • 取材日:2025年9月
    取材、執筆:奥村サヤ
    写真、コーディネート:中村幸稚
  • 有限会社三輪鉄工所
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