INTERVIEW

インタビュー

震災で失った故郷と工場を取り戻すまで。三輪鉄工所3代目 が語る、地域に生きる覚悟と再建の歩み(前編)

有限会社三輪鉄工所

代表取締役 神谷健二さん

福島県富岡町で1947年に創業した「有限会社三輪鉄工所」は、建築鉄骨の専門家として地域に根ざしてきました。

現在その舵をとるのは、埼玉県出身の3代目・神谷健二さん。建築設計事務所やゼネコンで経験を積んだのち、結婚を機に妻の実家である鉄工所に入りました。

設計の知識と鉄骨製作の技術で独自の強みを築き上げてきた神谷さんですが、東日本大震災がすべてを一変させました。避難生活や工場の操業停止、川越といわきを行き来する2拠点生活での先の見えない日々が続くなかでも、神谷さんは再建を諦めませんでした。

そして今、広野町に新工場を構え、地域に根ざす鉄工所として新たな歩みを進めています。

農具づくりから始まった三輪鉄工所

「三輪鉄工所」は1947年に創業。まだトラクターが普及していなかった時代、牛や馬とともに畑を耕すための農具をつくる「農鍛冶」として歩みを始め、地域の暮らしを支えてきました。

やがて時代の移り変わりとともに、建物に鉄骨が使われるようになり、事業は軽量鉄骨へ。 さらに、強度が高く、大型建築や工場などの骨組みに使われるH鋼を用いた重量鉄骨へと発展。現在は鋼構造物工事や建設業を手がける鉄工所として、その役割を広げています。鉄工所でありながら建築設計の知識と技術もあり、建築の全体像を理解しながらものづくりに取り組んでいます。

この鉄工所を受け継いだのが、三代目の神谷健二さんです。

埼玉県出身の神谷さんは、大学卒業後に建築設計事務所やゼネコンで経験を積み、一級建築士の資格を取得。富岡町出身の妻との結婚を機に、2002年に家業に入りました。

「正直、最初は“田舎の鉄工所”というイメージがあって、田んぼの真ん中でトンカントンカンと作業しているのかなと思っていたんです。ところが実際に福島に来てみると、想像以上に活気のある町だと感じました」

その後、地元の青年会議所に加わり、活動を通じて地域とのつながりを広げていきました。県内各地を回るうちに「妻以上に福島に詳しくなりました(笑)」と振り返るほど、町に深く溶け込んでいきます。地域に根を張り、事業も順調に進んでいた。そんな矢先に起きたのが、東日本大震災でした。

震災後すぐ、町のために奔走し続けた

2011年3月11日、神谷さんは震災直後からすぐに町のために動きました。

「私は建築士として、地震の直後に建物の安全性を確認し、住民が立ち入っても危険がないかを判断する“応急危険度判定”の件数が、どの程度になるかを検討するための状況調査を町から任されていました。 揺れが収まった直後に町中を見に行ったら、すでに建物の倒壊がかなりひどくて。すぐ報告のために役場へ向かったのですが、津波のため橋が通れず、山側を大きく迂回するしかありませんでした。ようやくたどり着いた役場はパニック状態でした。職員に町の状況を伝え、その後は消防団の仲間と連携しながら対応にあたりました」

翌日、消防団員でもあった神谷さんは、役場や仲間と連携し、町民を川内村へ避難させるため奔走しました。家族は妻の妹宅へ避難し、自身は消防車に乗って川内村へ。そこで約5日間、高齢者の介助や炊き出しの支援に駆け回ったといいます。

「震災当日から休む間もなく動き続け、気がつけば2週間も着替えていませんでした。自分のことに気を配る余裕など、まったくありませんでしたね」

二拠点生活を経て、再建への一歩へ

川内村での支援活動を終え、ようやくいわき市に避難していた家族と合流できた後も、事態は好転しませんでした。いわき市でさえ長期の停電や断水、ガソリン不足が続き、生活基盤は不安定なまま。神谷さんは埼玉・川越市の実家へ家族を避難させる決断をします。

「結局、家族は4年間、川越で避難生活を送りました。その間、私は富岡町の知り合いから声をかけてもらい、埼玉にある工場の改修作業を手伝ったり、飛び込みで鉄工所を訪ねて仕事を手伝ってもらいました。富岡では『被災した工場から荷物を運び出したい』という依頼もあり、いわきにアパートを借りて川越との二拠点生活を続けながら、なんとか仕事をつないでいました。とにかく無我夢中でしたね」

仕事が途切れることはありませんでしたが、従業員は各地に散り、工場も操業停止の状態。それでも、会社を再建させるための準備は進められていました。2代目である会長が中心となり、中小企業庁の事業に応募し、いわき市の四倉工業団地に仮設的な工場を建設する道筋をつけてくれたのです 。

「『工場ができても、またみんなが戻ってきてくれるのだろうか』と不安に思っていた時期もありました。でも再開すると、郡山まで避難していた従業員も、いわきまで通ってくれるようになり、何人かが再び加わってくれました。本当にありがたかったです」

こうして、三輪鉄工所は四倉の地で事業を再開し、富岡への帰還を目指し始めます。



(後編へ続く)

  • 取材日:2025年9月
    取材、執筆:奥村サヤ
    写真、コーディネート:中村幸稚
  • 有限会社三輪鉄工所
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