INTERVIEW
インタビュー

灯が消えた町に、再び活気を。双葉町の老舗「伊達屋」が 守りつなげたい未来とは(後編)
株式会社 伊達屋
代表取締役 吉田 知成 さん
震災後、避難指示解除前の双葉町で燃料補給の要として営業を再開した伊達屋。そこには、双葉町の復興のために力になりたいという想いがありました。
さまざまな事業を展開し、町に再び光を灯す伊達屋代表の吉田知成さんは、「何もなくなってしまったからこそ、やりたいことがやれる環境が双葉町にはある」と話します。
伊達屋が守りつなげたい未来とはーー。
人がいない町で奮闘した日々
吉田さんは迷った末に会社を退職。2016年5月に父から家業を引き継ぎ、ガソリンスタンド再開に向けて動き出しました。とはいえ双葉町は立ち入り制限があったため、いわき市のホテルを拠点にして、双葉町に通いながら一日に立ち入りできる制限時間内で準備を進めてきました。
「オープンに向けてまず取り組んだのが除染です。除染は2015年の段階から約1年間かけて行ってきました。コンクリートを1センチ単位で削って、基準値以下になるまで何度も作業を繰り返しました。設備の修復も困難続きで、計量器を新しく取り換えたくてもメーカーほぼ全てに断られてしまったり、床の下に張り巡らされた電線をすべて替えなければいけなかったり……。費用を補助してもらうための補助金の申請もほぼ一人でやりました。今思うと、よくあんなことができたなって思います。もう一回やれと言われても、もう無理ですね(笑)」
苦労の末2017年6月5日、ついに営業再開します。ただし、避難区域内での営業にはさまざまな制限が課せられました。営業時間は午前9時から午後4時まで。窓拭きや洗車も禁止。営業が終わってすぐにスタッフを帰らせなければならず、吉田さんは書類仕事のため一人で残業することが多かったそうです。
「周りに電灯もなく、店もないので、夜になると本当に真っ暗になるんです。スタンドに一人でポツンといると、静かすぎて野生動物の気配を感じるぐらいで……。人の気配がなく、物音ひとつない世界は独特の雰囲気ですよ。さすがに一人でいると怖くなってきて、あの頃が精神的にも一番キツかったかな」
事業の多角化で地域を照らす
ガソリンスタンド再開から数年が経ち、復興の進展とともに燃料需要も徐々に落ち着いてきました。そこで吉田さんは、事業の多角化に着手します。
伊達屋はもともと燃料屋のほかにも、タバコ屋やボーリング場の経営など、さまざまな事業で地域を支えてきた歴史があります。なかでも、双葉駅前で2007年まで営業していたファストフード店「ペンギン」は、地域の人たちの憩いの場でした。
2022年、特定復興再生拠点区域に完成した「双葉町産業交流センター」内に、「地元の人が帰ってきた時に双葉町の話ができるように」との想いでフードコートのテナントとして復活。姉の敦子さんが切り盛りし、今では地元の人たちのお腹と心を満たす存在となっています。
双葉郡では、復興を願って町を盛り上げようとする仲間たちが奮闘していました。町ならではの特産品を作って魅力をPRしようと、お酒やお菓子などを開発する仲間もいました。しかし、良い品を作ってもどう販路を広げたらいいのかわからないという課題を抱えていました。
「地元の本当に良いものを広めたい」と思った吉田さんは、大手通販サイトQVCジャパンとの提携に乗り出します。さまざまな条件をクリアして取引ができるようになり、全国への販路を広げました。現在は地域の生産者と大手販売チャネルを繋ぐ役割も担っています。
さらに、町の需要の変化に応じて車両販売やレンタカー事業も展開。吉田さんは自分ができることで、町の課題に立ち向かっています。
ここにはチャレンジできる環境がある
避難指示の解除からさまざまな事業で町を支えてきた伊達屋。しかし長引いた避難生活により、帰還率はいまだ低く、2024年9月時点で町内人口は震災前の約2%。復興までの道のりは、まだまだ道なかばです。しかし吉田さんは「一度ゼロになった町だからこそ、新しい取り組みにチャレンジできる環境がある」と話します。
「これから町を越えて地域連携をしていけば、浜通りはもっと盛り上がるはずです。双葉町はこれから大型ホテルが建設予定ですし、どんどん新しい流れが生まれていきますよ」
伊達屋の復活は、町に活力を与えるだけでなく、常に明るく照らし続けてきました。吉田さんは「かつての町に戻ることはできませんが、新しい文化を生み出していくことはできます」と力強く話します。
伊達屋の挑戦は、これから双葉の未来を切り開いていくはずです。
-
取材日:2024年11月
取材、執筆:奥村サヤ
写真、コーディネート:中村幸稚