INTERVIEW
インタビュー

東北の食材を生かしたフレンチを。人と人、都市と地方を 結ぶ「ジョワイストロ ナミエ」が目指す未来(後編)
ジョワイストロ ナミエ
シェフ 無藤哲弥さん
1974年に東京で創業した老舗レストラン「ビストロ ダルブル恵比寿店」が、2024年6月、浪江町にフレンチレストラン「ジョワイストロナミエ」をオープンしました。
この店のシェフを務める無藤哲弥さんは、20年以上フレンチの世界でシェフを務めてきた経験を持っています。そんな名シェフがいかにして、浪江町で店をオープンすることにしたのでしょう。そして、浪江町で見据える未来とは?
東北の食材と生産者に触れ、考えが変わった
フレンチの名店に就職することができた無藤さんですが、入社後も厳しい修行は続きました。その中で叩き込まれたのは、食材へのリスペクトを持って料理に向き合うことだといいます。
「たとえば、ピーマンひとつをとっても、その食材がどこから来たのか、採りたてなのか、冷蔵庫で一晩寝たものなのか、食材に対して理解がなければ料理に仕立てることはできません。生半可な気持ちで厨房にたってもすぐにバレます。徹底的に料理やお客様に対する姿勢を叩き込まれました」
その後、修行を終えて「ビストロ ダルブル」でシェフを務めるようになった無藤さんの転機は、東日本大震災後に訪れました。
復興を目的に開催された宮城県の食材探しツアーに参加したところ、東北の食材の素晴らしさに感動を覚えたのです。それから被災地へ何度も出向くようになり、生産者と対話を重ねて、積極的に彼らの食材を使いはじめるようになりました。そのうちに、自分自身に変化を感じるようになったといいます。
「東北に出会うまでは、作る料理に合わせて、必要な食材を集めていました。ところが、現地の生産者さんと話をして、その想いに触れるうちに『この素晴らしい食材を生かすために、どんな料理を作ろう』という考え方に変わったんです」
地域に根差した店を作りたい
無藤さんはそれまで石巻や気仙沼を中心に訪れていましたが、被災地を回る中で「福島にもぜひ来てほしい」と声をかけられたことをきっかけに、はじめて浪江町を訪れました。
浪江駅に降り立ち、改札を出て、町の光景を見たときの衝撃は今でも忘れられないといいます。
「駅のまわりに、ペンペン草しか生えていないんです。石巻や気仙沼は甚大な津波の被害を受けましたが、人が戻り、建物や道が新しくなって町の再生が進んでいました。ところが、浪江町は時が止まったままなんです。全町避難を強いられた町の復興のむずかしさを痛感しました」
それから浪江町に足を運ぶようになった無藤さんは、被災地への応援の気持ちもあって何度か復興イベントに参加しました。そこで疑問が芽生えはじめます。
「復興イベントのはずが、肝心の町の人たちの姿がないんです。主催者が都会から呼んだ人だけが来て盛り上がっているイベントを開催したところで、意味がないんじゃないかと思いました」
表面的な「復興イベント」を開催するのではなく、町の人たちが日常的に交わる、地域に根ざした場が必要ではないか。無藤さんは、地域の食材の素晴らしさを伝え、町の人も外の人も交われる店を浪江町で開きたいという想いを強くしていきました。
おいしい料理には、人々が集う
「東京と地方を結び、人が集う場所を作ろう」
こうして、浪江町にフレンチレストランを作るプロジェクトがスタートしました。しかし、その直後にコロナ禍が始まり、構想は一時中断。それでも決意は揺るがず、2024年6月、ついに「ジョワイストロ ナミエ」をオープンしました。
ジョワイストロ ナミエには定番のメニューがありません。地元の生産者から届く新鮮な食材に合わせて、無藤さんがその日の朝にメニューを決めています。食材は、浪江町だけでなく、東北各地の生産者のもとを訪れ、信頼関係を築きながら集めていて、信頼できる食材だけを扱っています。
とはいえ、人口2,200人という町で出店することに不安を感じなかったのでしょうか。「おいしい料理をちゃんと作れば、お客さんはどんな場所にでも足を運んでくれるという自信があります。たとえば、ラーメンフリークの人はどんな山奥のラーメン店にでも行くでしょう」
無藤さんの言葉どおり、店には地元の方だけでなく、わざわざホテルに宿泊してまで遠方から訪れる人も少なくありません。ジョワイストロナミエは、フレンチレストランという役割を越えて、人と人、生産者と消費者、都市と地方をつなぐ場にもなっているようです。
あの厳しい修行時代があったからこそ今の自分がいると話す無藤さん。ジョワイストロナミエを足がかりとして、視線はすでに次の展開へと向けられています。
「これからは人材の育成にも力を入れていきたいですし、浪江出身のフランス料理人が生まれたらいいですよね。浪江の豊かな食の恵みを生かして、もっともっと町を盛り上げていきますよ」
無藤さんは一時的な支援や応援という枠を超えて、地域復興への関わり方を模索して、料理を作り続けています。浪江町の未来を切り拓くジョワイストロナミエの店内は、今日もお客さんの笑い声で溢れていました。
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取材日:2025年2月
取材、執筆:奥村サヤ
写真、コーディネート:中村幸稚