INTERVIEW

インタビュー

地域の食材を生かしたフレンチを。人と人、都市と地方を 結ぶ「ジョワイストロ ナミエ」が目指す未来(前編)

ジョワイストロ ナミエ

シェフ 無藤哲弥さん

1974年に東京で創業した老舗レストラン「ビストロ ダルブル恵比寿店」が、2024年6月、浪江町にフレンチレストランをオープンしました。

店名は、フランス語の「ジョワイユー(楽しい)」と「ビストロ」を組み合わせた「ジョワイストロナミエ」。地元産の旬の野菜や魚介を活かした料理で、浪江の食の新たな魅力を発信しています。

この店のシェフを務めるのは、名店「ビストロダルブル」で20年以上シェフを務めてきた無藤哲弥さん。無藤さんは、地元の食材を活かし、生産者の意欲を伝えることを目指して、地域の食材を取り入れた料理を提供しています。

フレンチの世界で長年腕を磨いてきたシェフが、居住人口2,200人の浪江町でなぜ店をオープンすることになったのでしょう。その理由を尋ねるために、「ジョワイストロナミエ」を訪れました。

浪江町の創作フレンチ料理店

常磐自動車道の浪江ICから国道を海側に進むと見えてくる小さな料理店。「ジョワイストロナミエ」は、地元食材を使った創作料理が楽しめるフレンチレストランです。

店内に入ると焼きたてのパンの香ばしい香りに包まれました。それぞれのテーブルでは、お客さんが食事と会話を楽しんでいて、和やかな空気が流れます。カウンターに置かれた丸パンやカヌレ、フィナンシェを目当てに次々と常連客が買い物にきていて、この町で愛されるお店になっていることがうかがえました。

渋谷区恵比寿の名店「ビストロダルブル」で20年以上腕をふるってきたシェフの無藤哲弥さんは、現在、浪江町と東京の2拠点生活をしながら店を切り盛りしています。

直感的に惹かれたフレンチの世界

三重県出身の無藤さんは、最初から料理の世界を目指していたわけではありません。教員を志し、大学在学中には中学・高校の教員免許を取得しました。しかし、日本の教育制度に疑問を持つようになり、教職の道へ進むことに迷いが生じて地元へ戻ります。そこで、企業就職説明会に何気なく参加したところ、偶然にも採用が決まりました。

その企業では、新たにベーカリーカフェをオープンする事になり、無藤さんは新卒でありながら店長に抜擢されました。これまで飲食のアルバイトで培った経験をもとに、サンドイッチや惣菜パンを考案したところ、予想以上の売れ行きとなったそうです。この成功体験から料理への関心を深めた無藤さんは、「より本格的に学びたい」と大阪の調理専門学校の門を叩きました。

学校では、料理の世界の奥深さに熱中する日々。当時は、イタ飯ブームもあってイタリア料理に関心を持っていた無藤さんですが、ある日、梅田の紀伊國屋書店でフランス料理の本を手に取ったことで運命が変わりました。

「色とりどりで美しく、テクニック的なフランス料理に直感的に惹かれたんです」

本を購入して店を出ると、すぐに本に掲載されていたフレンチの名店に「修行させてほしい」と電話をかけました。面接の約束を取り付け、学校から履歴書を送付してもらう手配をします。面接の準備を万全に整え、面接当日は期待に胸を膨らませて東京へ向かったそうです。

名店で痛感した料理の世界の厳しさ

しかし、約束の時間より1時間早く店に到着した無藤さんの希望はすぐに打ち砕かれました。店に来たシェフに挨拶をすると、「履歴書が届いてないからダメだ」と呆気なく断られたのです。

当時の有名店には多くの修行希望が殺到しており、学校から送付したはずの履歴書はどこかに紛れてしまったのでしょう。片道3時間以上かけて面接に行き、たった5分で帰ることになってしまいました。「正直、キツかった」と、当時を振り返ります。

当時の無藤さんの年齢は24歳。専門学校の同級生たちはまだ19歳と若く、すぐに結果を出さなければという焦りを抱いていました。そんな彼にチャンスが巡ってきたのは、クリスマス前のことでした。

5分の面接で断られたフレンチの名店から「研修に来ないか?」と連絡があったのです。

「クリスマス時期で、店側からすれば猫の手も借りたいぐらいだったのだと思います。でも、僕にとってはラストチャンスですから、ふたつ返事で研修に向かいました」

しかし、そこには想像をはるかに超える厳しい世界が待っていました。厨房での会話はすべてフランス語。何を言われているのかもわからない無藤さんは、その場で立ちすくみました。

「何もできないけど、せめてお皿を洗おうかと思って手を伸ばすと『触るな!』と怒鳴られるし、料理を運ぼうとしても『触るな!』と叱責されて、ただ邪魔にならないよう店の隅で立っているしかありませんでした」

何ひとつ役に立たない情けなさと悔しさ。しかし、無藤さんは次の日も店に行くことを諦めませんでした。ただ立っているだけ。それでも学びとれることがあったのです。そして、ようやく任された仕事は、ベーカリーカフェでの経験を生かしたコーヒーと紅茶の給仕。無藤さんは、それを全力で取り組みました。

「この業界を舐めていたんだということを痛感した8日間でした。当時の僕は、就職先での成功体験もあるし、コンクールでは入賞した経験もあって、名店で経験を積めばすぐにシェフになれるだろうという甘い考えを持っていたんです。けれど、『ちょっとやればなんとかなる』なんてことが通用しないプロの料理人の世界を思い知らされました」

研修最終日。役に立てなかったという申し訳なさと悔しさを抱えながら、貴重な経験をさせてもらったことへ感謝を込めて挨拶して帰ろうとしたところ、シェフから一本のワインを渡されたそうです。

「これで終わりじゃない。ここからが始まりだぞ」

細い糸をたぐり寄せるように縁を掴んだ無藤さんは、専門学校卒業後、晴れて憧れのフレンチの名店に入社したのでした。

(後編へ続く)

  • 取材日:2025年2月
    取材、執筆:奥村サヤ
    写真、コーディネート:中村幸稚