INTERVIEW

インタビュー

事業転換も町おこしも、「人」を大事にすることから。株式会社八島総合サービスの経営哲学(後編)

株式会社八島総合サービス

代表取締役 八島貞之さん

「戻れる場所を作りたい」

株式会社八島総合サービスの八島貞之さんは、かつて全国を奔走していました。原発事故による全町避難を強いられ、故郷・浪江町を離れざるを得なかった町の人たち。その一人ひとりと再会するために、彼は「なみえ焼そば」を手に各地を巡ったのです。

散り散りになった住民たちと、もう一度つながりを結び直していく。その歩みは、八島さんにとって「なぜ事業を続けるのか」「自分は何を守るべきなのか」を問い直す時間でもありました。

人が離れても、いつか安心して戻ってこられる場所があること。 ここで働き、暮らし、再び集える“受け皿”を地域に残していくこと。

その切実な想いが、やがて家業である鉄工業からビルメンテナンス業へと大きく舵を切る決断へとつながっていきました。

なみえ焼きそばがつないだ再会

2011年。震災による原発事故で、浪江町は全町避難を余儀なくされました。

避難先で八島さんは炊き出しを振る舞われましたが、居ても立ってもいられず、気づけば自分が配る側に立っていました。そこからは仲間とともに、全国に散り散りになった町の人たちの元へ行き、なみえ焼そばを振る舞う日々がはじまります。

「八島さんに会えて嬉しい!」

「また浪江で集まって、活気を取り戻したいね」

懐かしい顔ぶれ、町の人との再会。そのたびに励まされているのは、自分のほうだと気づかされました。なみえ焼そばは、ただの名物ではない。町と人を結び直し、離れていても故郷を思い出させてくれる存在なのだと実感しました。

そして2013年、「B-1グランプリ」で悲願のグランプリを獲得します。

「震災直後から、手伝うよと駆けつけてくれた仲間がいたからこそ、あの結果につながったと思います。人と人のつながりがなかったら、あそこまではやれなかったです。仲間に会いたいという気持ちと、地域のために力になりたいという思いが、みんなを動かしたんだと思います。“仲間を大事にしろ”と、ばあちゃんに言われ続けてきたその言葉が、最後まで自分を支えてくれました」

現在は、なみえ焼きそばの活動からは離れていますが、「この経験は、事業を続ける上での基盤として会社の判断に生かされている」と八島さんはいいます。

鉄工業からビルメンテナンス業への転換

2011年9月、八島さんは鉄工所の操業を再開しました。けれど、戻ってきたスタッフはわずか3名。そこに弟と新たなスタッフを迎え、6名で再出発をしました。

「最初は津波被害を受けた現場の復旧工事に入りました。しかし、復旧工事はスピードも早くて、1〜2ヶ月単位で仕事が終わってしまうんです。あっという間に仕事が減っていくなかで、不安が押し寄せました。それでも、従業員の生活を守らなきゃいけない。だから、次の仕事を探すしかなかったんです」

しかし、その過程で従業員が辞めてしまう現実にも直面します。

「昨日まで鉄骨工事、次の日は土木工事、その次は除染作業と、復興の状況に合わせて仕事もどんどん変わりました。ついていけない人が出るのは当然です。従業員が辞めてしまったことで、『このまま流されているだけじゃダメだ』と痛感しましたね。自分は何ができるのか、腹を据えて向き合わなきゃいけないと思いました」

そうして、試行錯誤の上に行き着いたのが、ビルメンテナンス業への転換でした。

この決断の背景には、八島さん自身が建築士の資格を持つという強みがありました。

建築の知識があるからこそ、配線・空調・構造・設備といった建物全体を理解したうえで、メンテナンスや清掃にとどまらず、衛生面や職場環境ごと整えることで、「働きやすい現場をつくる仕事になる」と考えたのです。

「衛生環境が整えば、人は元気に働けます。エアコンひとつでも季節によってはカビや菌を撒き散らすことがある。草が伸びれば花粉や害虫も増える。だから環境を整えることは、健康で働けるための“土台づくり”でもあるんです」

地域の日常を支え、未来への循環をつくる

事業を転換し舵を切ることは、地域の雇用を守るためでもありました。

避難解除が進む一方で、復興現場は力仕事が中心。女性が働ける場所が極めて少ないという現実がありました。「この町の復興には、女性が活躍できる場所を増やすことが不可欠だ」。八島さんはそう確信し、自らその場所をつくる決意をします。

まずは、清掃業務など女性でも力を発揮できる現場を整え、一件一件「衛生管理を任せてください」と営業で歩き回りました。地道な営業と誠実な仕事の積み重ねによって、八島総合サービスへの信頼は着実に広がっていきます。

その積み重ねが実を結び、 ピーク時には従業員が100名を超える規模へと成長を遂げました。

震災から15年が経ち、町には新しい施設や産業拠点が少しずつ増えてきました。建物が建ち、暮らしの風景が戻りつつある今。メンテナンスや衛生環境の整備を通じて「この町で働き、暮らし続けられる日常」を支えたい。八島さんは今、その想いを新たにしています。

地域にできた施設を、地域の手で守り抜く。 その仕組みが整えば、ここで働くことも、暮らすことも、あるいは「帰る場所」を選ぶこともできる人が増えていくはずです。八島さんは、そんな健やかな循環をこの町に根づかせたいと考えています。

「地域で商売をさせてもらっているんだ。どんなに苦しくても、続けなきゃいけないよ」

幼い頃から繰り返し聞かされてきた、祖母の教え。その言葉は、今も変わらず八島さんの背中を押し続けています。

地域の未来がここからつながっていくと信じて。八島さんは今日も、この町を支える仕事に、真摯に向き合い続けています。

  • 取材日:2025年10月
    取材、執筆:奥村サヤ
    写真、コーディネート:中村幸稚
  • 株式会社八島総合サービス
    https://yssinc.co.jp